柿本英雄

柿本英雄

柿本英雄

和歌山県串本町、串本病院で生を受ける。
「一等航海士の父親」の仕事上の都合にて2歳の時に名古屋に移住。
いつしか「オールラウンダーの天才画家」と称され、名古屋を拠点に絵を描き続け現在に至る。

   

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美術年鑑令和6年度版がヨークシャテリアの愛息の「ふく」の初七日に届きました。
この「美術年鑑令和6年版」を私の世界で一番大切な「ふく」に捧げます。
「ふく」本当に有り難う、そして安らかに!
「ふく」はいつも私の心の中に生きています。天国で安らかに!
この美術年鑑令和6年版はふくからのギフトでもあります。
私の大事な宝物で、いつまでも大事にします。最愛のふくへ!


【令和5年12月8日愛息の【愛しいふく永眠】
皆さまに愛された私の愛息、ヨークシャーテリアの「ふく」が永眠いたしました!
最期は私の胸に抱かれて眠る様に息を引き取りました。
享年14歳
本当に私と「ふく」は親子以上の関係でした。
悲しみと辛さで、今も信じられません!
「ふく」天国で安らかにそして13年間本当に有り難う!




銀座ギャラリーGK CoCo祭展 2023年 9月11日(月)~9月16日(土)
12時~19時(最終日16日(土)は16時):ご注意下さい

NHKの看板番組「ひょっこりひょうたん島」でおなじみの人形作家、故・片岡昌の生徒によるグループ展からはじまり、今年で16回目を迎える。
それぞれにCoCo(個々)アーティスト達の個性を表現した、多彩で心に響く作品を展示する。【展示画は変更の可能性があるのでご了承ください】

招待参加者の柿本英雄は若くして重い病と闘い精一杯に生き、若きして天に召された従弟、また後を追う様に天に召された叔母に捧げるため、従弟、叔母等の絵画、美人画を計5枚展示!柿本の絵は「優しさと希望の扉に導き、崇高かつ感銘を与え、生きる大事さを伝える!


熊野新聞様(共同通信社提携)の新聞に一基と叔母三七代が素晴らしく大きく掲載されました。
この記事に多くの方が感銘を受けられたら嬉しく存じます。「熊野新聞様、誠に感謝致しております。」

中日ドラゴンズの親会社の大新聞の中日新聞の主要ページの【市民版】に掲載されました。(8/24 朝刊)
素晴らしい記者様の記事に感謝致しております。


新潮社発刊の芸術新潮9月号(8月25日発売)に掲載されました。
特別の想いの絵画展です。精一杯に生き抜いた従弟一基、叔母に誠の感謝と供養です!


新潮社発刊の芸術新潮9月号(8月25日発売)に銀座の名門ギャラリーGKのCoCo祭展に展示の天国の従弟の絵の掲載等が決定致しました!

ギャラリーGK様のCoCo祭展ご招待に参加が決まりました!

3年目の参加ですが、今年は特別な思いの参加になります。
一基と叔母の供養とギャラリーGK様のオーナ―様のご配慮に全力を尽くす所存です。
会期は2023年9月11日~16日です!
詳細は後日にお知らせさせて頂きます。

2023年7月10日 中日ドラゴンズの親会社の中日新聞の取材がありました!

2023年7月10日に大新聞の中日新聞の取材が、銀座の絵画展のCoCo祭をはじめ、盛りだくさんの内容の取材が行われました!8月に掲載予定です!


2023年7月10日(月)に日本を代表する中日新聞の取材が決定!

プロ野球中日ドラゴンズの親会社の日本を代表する中日新聞の取材が2023年7月10日(月)に決定致しました!
【私の今も続くこれまでの多くの波瀾万丈の困難な人生かつ今の画家生活に関するまでの道のりについての予定です!】


イギリス(ロンドン)の絵画愛好者から絵画購入の交渉がありました。光栄です!

Hello, your paintings are really nice and I love them, I’ll love to purchase some. kindly message me so we negotiate.
(翻訳)【こんにちは、あなたの絵は本当に素敵で大好きです、私はいくつか購入したいと思います。 交渉しますので、私にメッセージをください。】


美術年鑑令和5年版(2023年)に洋画家(部門)に掲載されました!




coming soon
CoCo展 9月12日(月)~9月17日(土)
12時~19時(最終日17日(土)は16時)
:ご注意下さい
NHKの番組「ひょっこりひょうたん島」でおなじみの人形作家、故・片岡昌の生徒によるグループ展からはじまり、今年で15回目を迎える。
それぞれにCoCo(個々)アーティスト達の個性を表現した、多彩で楽しい作品を展示する。
人物画【帽子から流れる黒髪の女~切なさの時間はクロスして…~】
【展示画は変更の可能性があるのでご了承ください】
中央区銀座6-7-16 第1岩月ビル1F
ギャラリーGK tell:03(3571)0105
#ギャラリーGKファン


Web展覧会概要
・展覧会タイトル:【日没と夜展】(芸術新潮9月号掲載!新潮社発刊)
・開催会期:2022年9月1日~2022年9月30日まで

9月Webグループ展覧会URL
Artist 柿本英雄 KakimotoHideo - 日本橋Art.jp


芸術新潮2022年9月号
新潮社の芸術新潮2022年9月号に累計3ページ(69,125,149ページ)掲載されました!

令和3年の美術の窓8月号より
去年お世話になった銀座のギャラリーGK様から、去年のCOCO展の参加の打診を頂いた。

Web展覧会概要
・展覧会タイトル:みんなのためのアート展
・開催会期:2022年8月1日~2022年8月31日まで
アートは理解するものではなく、感じるもの!


新潮社のアート誌の【芸術新潮】の9月号掲載(8/25)発売掲載に合意致しました。


アート業界の「日本橋Art.JPと契約」
日本橋Art.jpで柿本様の作品をもっと押し出していきたいという考えもあり、 一層、柿本様の作品販売・知名度向上に努めてまいります。
今後とも日本橋Art.jpを宜しくお願い致します。
日本橋Art.jp - 柿本英雄

当ホームページは、販売は受け付けておらず、販売に関しては日本橋Art様にお問い合わせ下さい。
日本橋Art.jp - 販売サイト


アートコレクターズ令和4年1月号に掲載されました!
アートコレクターズ令和4年1月号に掲載されました。
人物画【ムーンライトサーファー~夜の海が好きだったあなたの為に涙は流さない!】


アートコレクターズ年賀名刺交換会に掲載されました!
アートコレクターズ年賀名刺交換会に掲載されました。

美術の窓に掲載されました。
美術の窓月10月号に掲載されました。


美術年鑑に掲載されました。
美術年鑑洋画家に掲載されました。4,950円(税別)
人物画【帽子から流れる黒髪の女】

ギャラリーガイドに掲載されました。
ギャラリーガイド銀座9月、10月号に掲載されました。

都築響一様にメールマガジンで取り上げていただきました
先週日曜日はロードサイダーズにはもうおなじみ、日本屈指のバッドアーティスト!
名古屋の柿本英雄さんの個展に伺いました。
場所は銀座の小さなギャラリー。
最終日に駆け込んだので、床には搬出準備で段ボール箱が並んでいましたが、いつものとおりの圧縮展示! 壁面すべて2段掛けの日展方式! 入口に並んでいるポストカードも40種類以上!
一枚一枚の出来がどうこうという前に、そのエネルギーのほとばしりに圧倒されます・・・

都築響一様にメールマガジンで取り上げて頂きました詳しくはこちら






テレビ和歌山東京支社に取材を受けました。
テレビ和歌山に取材で出演の打診を受けました。

アートコレクターズ 10月号
アートコレクターズ様に掲載されました。

美術の窓 10月号
裏表紙の裏と、143ページに大きく掲載されました。



美術の窓
本日より発売の美術の窓にCoCo展の告知記事が掲載されました。

展示作品 F6号 価格応相談



CoCo展
美術の窓9月号掲載予定(8月20日)発売
会期:9月13日(月)〜18日(土)
時間:13(月)~17(金)12時~19時 18日(土曜日)12時~16時
住所:〒104-0061
東京都中央区銀座6丁目7-16第1岩月ビル1階
TEL:03-3571-0105
ギャラリーGK
#ギャラリーGKファン

柿本英雄展

ギャラリー暁にて絵画展開催決定
ギャラリー暁 美術の窓10月号(発売9/20)、
アートコレクターズ10月号(発売9/25)

会期:9/27日(月)~10/2日(土)
時間:9月27日(月) 13:00~18:30分
   9月28日(火)~10月1日(金) 11時~18:30分
   10月2日(土) 11時~17:00
住所:〒104-0061
   東京都中央区銀座6丁目13番6号 商工聯合会ビル2F
場所:部屋はAとBがありA室です。
電話番号:03-6264-1683
ギャラリー暁



アメリカのロサンゼルス展開催決定
ART PAINTER HIDEO KAKIMOTO
JAPANESE Genius
ART PAINTER TO NICE DAY?
アメリカロスアンゼルス展の中止が正式に決定いたしました事を、心よりお詫びいたします。

二階俊博幹事長寄贈画
叔父と二階幹事長
二階俊博幹事長のやさしさ










私の師、宮滋勝御住職様ご逝去!!

私の師、南丁寺の宮滋勝住職様が、令和元年6月23日にお亡くなりになりました。
御歳96歳の大往生でした。本当に、悲しく、寂しい事であります。
未熟な私を、ここまでの画家に成長させ、才能を開眼させて頂いた偉大な僧(禅師)でありました。
先週、和歌山の串本の病院にお見舞いに行きましたが、お会いすることも出来ないほどでした。
昨日、夜、座禅をしていたとき、師宮滋勝住職様が、微笑んでおりました。・・・


私の師、宮滋勝御住職様ご逝去!!

東京銀座・柿本英雄【法眼】展開催のお知らせ

※こちらのイベントは終了しました。過去のイベントはこちら »

余寒なお厳しく、朝の寝起きに苦労致しますが、皆様におきましては、ご清栄のことと存じます。
この度、平成最後の年におきまして、長谷川画廊様で、柿本英雄【法眼】展を開催させていただく運びとなりました。正直、私は、絵画の事は、分かりませんし、絵画の関係者のことも知りません。
しかし、大衆法廷、世間の方には喜びを与えていると自負はしております。
祖父の命日、非業の戦死いたしました伯父の月命日にこのような事が開催されるのは、特別な供養と存じております。
もし、お時間があり、ご興味のある方は御高覧にいらしていただければありがたく存じます。・・・

東京銀座・柿本秀雄法眼展開催のお知らせについて詳しくはこちら

ポストカードプレゼント!!

※こちらのイベントは終了しました。過去のイベントはこちら »

ご高覧に来館されましたお客様へ、
3月26日(火)~31日(日)までのプレゼント内容の詳細!
3月26日(火)、29日(金)は、祖父、伯父の命日のため、来館されました全てのお客様に特別の感謝を込めて一枚ずつ、販売物(通常1枚300円(税込))をプレゼントさせていただきます。
他の開催日は先着10名様にプレゼントさせて頂きます。なお、売り切れ【ソールド・アウト】の際はご容赦ください。
人物、動物、風景、花のご用意した物からお好きな物をお選びください。
皆様のご来館をしがない画家がお待ちいたしております。
敷居は非常に低いのでお気軽にお立ち寄りください。よろしくお願い致します。

東京銀座・柿本秀雄法眼展詳しくはこちら




都築響一様にFacebookで取り上げていただきました
名古屋が誇る最強バッドアーティスト、柿本英雄展@銀座長谷川画廊、日曜まで!
ロウブロウどころじゃないロウブロウ・アート!! 行かないと後悔します!!!・・・

都築響一様にFacebookで取り上げていただきました詳しくはこちら












二階俊博幹事長亡き奥様御供物寄贈画




アートコレクターズに掲載されました
2021 8/26発売のアートコレクターズに掲載されました!




東京新聞に掲載されました
東京銀座・柿本英雄【法眼】展開催について、3月21日の東京新聞朝刊に掲載されました。


東京新聞に掲載されました詳しくはこちら





都築響一様にメールマガジンで取り上げていただきました
前回の記事で、こんなふうに柿本さんのことを書いた――
たった2年間という時間で、これほどのペースで生み出され続ける柿本さんの絵を、周囲の人間や、地元の柿本ファンがどう見ているのかはわからない。
ご本人が言う「ゴッホ、ピカソ、セザンヌ、モネ」でないことは確かだし、独学2年というキャリアの技術的な上手下手をジャッジしても意味はない。
ただ、ここには「描くこと」への爆発的な喜びがある。柿本さんを取り巻く人々にも、その喜びがそのまま感染しているのであって、それは技術ともコンセプトともまったく別次元の価値であり魅力なのだろう。・・・

都築響一様にメールマガジンで取り上げて頂きました詳しくはこちら

中国、日本でご活躍のライター吉井忍様のアンケート!!
銀座長谷川画廊様での柿本英雄【法眼展】3月31日に日中にてご活躍されるライター【著作家】に取材されたアンケートです。
詳しくは、後に述べさせていただきます。








映ギャラリー201様より嬉しいハガキ!!
柿本英雄 先生
拝啓 三寒四温をのり越えて
豊かな日本のはるがやってきました。
長谷川画廊のご開催誠におめでとうございます。
時代の変換のとき、絵も当然かわります。
新しい道を開かれた先生のご活躍を
願っております。
               敬具・・・

映ギャラリー201様より嬉しいハガキ!!詳しくはこちら

編集都築響一様激励!!
柿本さま、ご連絡ありがとうございました。
そして個展、お疲れさまでした。
長谷川画廊、歴史の長い画廊。こちらとしては最大限の賛辞のつもりで書かせていただいたのです。
来ていただいたかたが喜んでくれたら、それで最高だと思います。
周囲に影響されるような柿本さんではないと思うので、これからも信念のままに自由な創作に集中していただけたらと願っています。
これからのご活動も楽しみにしています!
都築



映ギャラリー201様より
柿本様の絵とお人柄のよさに感動致しました。
是非、映サロンギャラリー201で開催してください。良い作品を生み出す柿本様の
ご利用は名誉です。

開催日をお知らせください。


中村

映ギャラリー201様より嬉しいハガキ!!詳しくはこちら

Queen、フレディ・マーキュリーは、偉大で大事な宝物!!
写真は、私が、毎日、観たり、聴いたりするQueenのDVD、CDです。
Queenのフレディ・マーキュリーのあの素晴らしい歌声とパフォ―マンス。そして、ギターのブライアン・メイ、ドラムのロジャー・テイラーさらにベースのジョン・ディーコンの最高の演奏が最高にフレディ・マーキュリーを引立て。本当に、私の多くの力を引き立ててくれます。
私は絵にどんな画家からも影響は受けたこともありませんし、興味もないし、感動すら覚えたことは、ございません。・・・

Queen詳しくはこちら

座禅
私にとって、座禅は写経とともに絵を描く事に必要なルーティンです。むしろ絵を描く事すら、心眼を開き、悟り、阿頼耶識に辿り着く修行の一つかもしれません。・・・

座禅について詳しくはこちら

Queen
写真は、私の大好きなQueenのポスターチラシと宝物のフレディマーキュリーのSHFです。
私は、絵を描くとき、Queenを聴き、座禅、写経の修行での気、小宇宙、フォースを爆発させます。座禅、写経が静で、Queenが動であります。先に述べたとおり、Queenのファンで特に、フレディマーキュリーの大ファンはもう明らかですが、Queenの名曲「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」が流れ、フレディマーキュリーの【OK】で感覚が爆発し、一気に阿頼耶識に向かいます。それ位、座禅、写経と同様にQueenは私にとっては大事なものです。
絵もフレディマーキュリーが魅せるパフォーマンス同様でなければ、皆様を魅了することが出来ないと私は思います。いつか、必ず、Queenのフレディマーキュリーのパフォーマンスが絵に描くときが出来たとき「最高の一枚」が出来上がると、日々、精進しております。本当にQueen、フレディマーキュリーは最高に魅了し凄いの一言に過ぎます。

感謝の気持ち
2018年9月23,24日の名古屋市南陽交流プラザにて開催された「柿本英雄展」にご来館されましたお客様から嬉しいお手紙を頂きましたのでお知らせに掲載させていただきました。私がお書きしたお手紙にもありますがこの様な心温まり、力になるお手紙は久しくいただいておりませんでした。本当にしがない画家には大きな励みとなります。本当に有り難いの一言に尽きます。私の師がかつて話した通り、私の手から描き出す作品が多くの者に感銘を与えているのなら、一段と精進に励まなければならないと存じます。ある本に私の生年月日の本がありました。この本のようなことが起きれば、今の私自身の救いにもなります。言葉足らずでございますがご容赦ください。

正装
大一美術館にてお客様を迎える正装です。
いつもお世話になっているお客様に写して頂きました。

アンケート

大一美術館ギャラリーにてご来館頂いたお客様から抜粋したものです。
お蔭様で、多くのお客様がしがない画家の私に高い評価を賜り、本当に有難うございます。

骨髄炎について
医療過誤の大きな後遺障害の骨髄炎に悩まされています。常に、激痛、発熱等です。
当時大きくメディアにも取り上げられました。症状固定のため、診断書の後遺障害は残存しています。
よって絵を描く事しかできないのです。

Queen映画
多くの皆様の支援に応える為、3度目のQueenのボヘミアン・ラヴソディを観てきました。何度、観ても本当にQueenのフレディマーキュリーは力をくれ、魅了してくれます。・・・

Queen映画について詳しくはこちら

108の数珠
写真は私の師が精入れ致しました普賢菩薩の像と同様の108の数珠と腕珠であります。座禅、絵を描く時を含め、ほぼ身に着けている大事なものです。これをしていると、精進に励み、俗物になってはならないと気が引き締まります。・・・

108の数珠について詳しくはこちら

個展開催情報

2023.09.08

coming soon

銀座ギャラリーGK CoCo祭展 2023年 9月11日(月)~9月16日(土)
12時~19時(最終日16日(土)は16時):ご注意下さい

NHKの看板番組「ひょっこりひょうたん島」でおなじみの人形作家、故・片岡昌の生徒によるグループ展からはじまり、今年で16回目を迎える。
それぞれにCoCo(個々)アーティスト達の個性を表現した、多彩で心に響く作品を展示する。【展示画は変更の可能性があるのでご了承ください】

招待参加者の柿本英雄は若くして重い病と闘い精一杯に生き、若きして天に召された従弟、また後を追う様に天に召された叔母に捧げるため、従弟、叔母等の絵画、美人画を計5枚展示!柿本の絵は「優しさと希望の扉に導き、崇高かつ感銘を与え、生きる大事さを伝える!


2022.09.02

coming soon

CoCo展 9月12日(月)~9月17日(土)
12時~19時(最終日17日(土)は16時)
:ご注意下さい

NHKの番組「ひょっこりひょうたん島」でおなじみの人形作家、故・片岡昌の生徒によるグループ展からはじまり、今年で15回目を迎える。
それぞれにCoCo(個々)アーティスト達の個性を表現した、多彩で楽しい作品を展示する。
人物画【帽子から流れる黒髪の女~切なさの時間はクロスして…~】
【展示画は変更の可能性があるのでご了承ください】

中央区銀座6-7-16 第1岩月ビル1F
ギャラリーGK tell:03(3571)0105
#ギャラリーGKファン


2022.09.01

Web展覧会概要

・展覧会タイトル:【日没と夜展】(芸術新潮9月号掲載!新潮社発刊)
・開催会期:2022年9月1日~2022年9月30日まで

9月Webグループ展覧会URL
日本橋Art.jp - 柿本英雄

2022.08.01

みんなのためのアート展

・展覧会タイトル:みんなのためのアート展
・開催会期:2022年8月1日~2022年8月31日まで
アートは理解するものではなく、感じるもの!

みんなのためのアート展
関連URL
日本橋Art.jp - 柿本英雄

2022.07.01

「フランス絵画展」等の出展のご連絡を頂きました。

2022.06.23

日本橋Art.jpのweb絵画展に正式に選ばれました。

会期7/1~31 Web絵画展ですので作品は会場ではご高覧出来ませんので何卒、ご理解、ご容赦ください。

2021.07.15


柿本 英雄
「帽子から流れる黒髪の女
~切なさの時間はクロスして…~」

CoCo展 9月13日(月)~9月18日(土)

NHKの番組「ひょっこりひょうたん島」でおなじみの人形作家、故・片岡昌の生徒によるグループ展からはじまり、今年で14回目を迎える。それぞれにCoCo(個々)の個性を表現した、多彩で楽しい作品を展示する。

中央区銀座6-7-16 第1岩月ビル1F
ギャラリーGK tell:03(3571)0105

2021.06.03

柿本英雄展

ギャラリー暁絵画展 9/27日(月)~10/2日(土)

ギャラリー暁にて絵画展開催が決定しました。
ギャラリー暁 美術の窓10月号(発売9/20)、
アートコレクターズ10月号(発売9/25)

会期:9/27日(月)~10/2日(土)
時間:9月27日(月) 13:00~18:30分
   9月28日(火)~10月1日(金) 11時~18:30分
   10月2日(土) 11時~17:00
住所:〒104-0061
   東京都中央区銀座6丁目13番6号
   商工聯合会ビル2F
場所:部屋はAとBがありA室です。
電話番号:03-6264-1683

ギャラリー暁


お知らせ

2024.06.13

6月12日は従妹の本命日であった。この世で僅かな天命だったが、精一杯の供養精進で弔った!

6月12日は従妹の本命日であった。乳児の時、悲しい不幸な事故でこの世での僅かな人生を終え、天に旅立った。【クリック】相当な歳月が経った。私も娘には赤子時代に2回しかあっていない。赤子であるので、スヤスヤと寝た顔しか見ておらず、顔も思い出すことは少しも出来ない。だが、僅かな天命であるがこの世に生を受けたのは紛れもない事実である。
かつて述べたが、戒名はわが師が授けた。【露珠童女】とした。最初は、私も一基の友人も何と読むのか分らなかったが、住職様が恐らく「ろじゅ」と読むと思うと話した。台帳には「ひらがな」では書かれていないが、私もその読み方が妥当だと存じた。意味を聞き、それは、間違いなく妥当だと存じた。その意味は「露珠」の【ろ】は梅雨の最中の6月に天の涅槃に召された事と、梅雨の雨は地面ではじけ可愛い水玉になる。そして、【珠】大事な宝物を意味し、目に入れても痛くない大事な宝をさし、触っただけで壊れる様な本当に大事な物を意味する。】と話した。それを聞き、私もその通りの両親の思いをくみ取り、戒名を受興した都存じる。確かに珠は「真珠」にも用いられるように綺麗で可愛い宝物を指す。しかし、今はこの娘の両親、兄も天に召されている。これ以上に無い位に可愛がられ、寂しい日は消え、楽しい日を送っているであろう。この梅雨の最中に素晴らしい晴天がまさに象徴を表している様に私は感じる事が出来た。この子の事を覚えている方達は、もうほとんどいないのは間違いないだろうが、私は顔を思い出す事は出来ないが、その子が「スヤスヤ」眠っているのは、いまだに覚えている。それを思い、私なりに写経を書き、供養精進もしっかりとした。この世で生を受けた天命は僅かであるが、間違いなくこの世に、この子は生きた事実は、齢に関係なく変わらない。だから、出来る事は、私もしてやりたく供養精進を精一杯にした。
この供養精進は、去年、天に召された一基、叔母の気持も込めた供養精進である。また、残された者なら、それは当然にすべき事であると存じる。この供養が涅槃に届き、笑顔になっていれば嬉しく存じる。私は天命で私がこの世に存在している大きな理由の一つかもしれないのは間違いないであろう。この行為は仏教において善業であることは間違いなく存じる。善業とはよい果報を招くもととなる十善などの身口意(しんくい)の行為とされ、残された者達に幸せを与える事になればと存じる。横着どもの悪行とは完全に相反し、その輩達は、間違いなくそれに見合う罰を受ける事になるであろう。それが善業と悪業である。また、今日は病院に行き、先日のCI,血液検査等の結果を聞きに行ったが、今のところ、大きな異常は無いと言われたが、少し、検査をした従妹があると先生が話し、再度の血液採取も行われた。先生の方に、何か気になる症状があったのかもしれない。過労は、日ごとに増しているのは、間違いない。この病について余命は不明だが、過労の具合においては天命を翌日に終える病の可能性が否定は出来ない。また、最悪の病を発生する事もある。とにかく、これといった絶対的な治療が無いし、先が見えないのは本当に辛く苦しいものである。私も身体は、本当に少しの作業だけで相当のダメージがある。まさに先日述べたブッタの四門の中にいる様な感じなのかもしれない。恐らく、精神力、気力だけでかなり持ち堪えているであろう。
先生に、身体を休め、栄養をよくとる様に指示された。今、私が一番、気になっている症状が自分の中で続くようなら、必ず、受診時に話すようにとも言われた。正直、病では怖い場所にその症状が続いている。医療過誤から、20年経てばその状態になっていても仕方無いのかもしれない。しかし、この状況でも従妹の供養はしっかり執り行ったし、修行はしっかりと課している。私は、根が真面目なのでそれは必ず行う。今後とも精一杯、精進に身体の調子が悪くても出来る限り励む所存である。ただこの件だけは絶対に遺憾をとおりこしている。述べたように【ベルリン飛行司令】の乾が大貫に安藤が「素敵な一発を俺ももらったところだ。」【中隊長、まさか、それを黙っていたんでは】「一つ貸しにしただけだ。」の状況なんかはるかに例えにならない状況の憤りになっている。それは、誰だって許さんだろうと皆が話すのは当然である。あまりにも常識に反していると、それ、私物だろう。本人の許可いるのは当然だし、そんな大の男が黒いスーツで、4,5人で取り囲み、「脅迫」そのものの言動をすれば、母親は物凄く怖かったのは誰が考えても同じ事を言うと知人達が話すのは当然である。それは人として許されない行為も当然だと話す。私は、本当にこの件の憤りは安藤大尉の憤りをはるかに超越している。最低な輩のこの卑劣さは絶対に許せない。

柿本英雄【道号法眼】

2024.06.11

私の愛息のヨークシャテリアの【ふく】の通院した病院を涅槃に旅立った後、初めて訪れ、想い出に浸った!

私の愛息の【ふく】の月命日が終わり、久しぶりに【ふく】が通院していた病院の前を通り、その場で、しばらくたたずんで、この病院で過ごした思い出にふけていた。大きな手術をし、頑張ってくれ、無事成功しその夜に、【ふく】を心配で、見舞いに出かけた事。毎月の検査の待ち時間に【ふく】を無償の愛(無償の愛とは、見返りを求めることはせず、相手のために尽くす愛情のことです。「無償」とは、対価を払わないという意味。つまり、利益など一切考えずに相手に注いでいる愛情こそが、無償の愛である。では恋との違いは、恋は「もっと会いたい」「電話が欲しい」「自分だけを愛して欲しい」など、相手に何かを求めるものです。しかし、無償の愛は相手には何も求めず、ただ相手のことを思って行動し、自分が犠牲になることも厭いません。このように恋と無償の愛では、大きな違いがあることを知っておきましょう。無償の愛は親子間や夫婦間、家族など身近な人に対しても抱く愛情でもあります。親が子を思うとき、見返りは求めません。親が子に抱く愛情は、まさに無償の愛と言えます。)このようにまさに私は、【ふく】に13年間この無償の愛を注ぎ続けた。待合室でも【ふく】にいつも優しく語りかけ、優しく撫でてスキンシップを問い続けた。私も難病の重度の骨髄炎であったが、自分のことなど、二の次であった。ここで、最期は私の胸の中で天命を終え、涅槃に旅立ったのは悲しく辛い思いであろうと私の心の中にしっかりと【ふく】の最期の頑張りを私の心に思い出として、大事にしなければならない。私の医療過誤の、重度の骨髄炎は治す術はない。また、医師も余命など分からないであろうが、20年というこの病と自分でも、よく闘っていると存じる。この病気は日常生活でどのような注意が必要ですか特別なケアは存在しませんが、過労やストレスを避ける事が推奨されるとある。それは、絶対という治療法が無いからである。ストレスは普通の人でも避けるのは難しいこの俗世に生きるために向き合わなければならない。私は、この病でも【ふく】にひたすら無償の愛を捧げ続けた。特に、【ふく】が涅槃に旅立つ最後の約一年、私は、【ふく】と共に必死に闘い続けた。しかし、天命というものは避ける事が出来なかった。しかし、【ふく】との過ごした大事な時間は思い出であり、時には私自身が【ふく】に何度も助けられた。だから、本当に心から【ふく】との出会いは、私にとって素晴らしく最高の至福の時間が共有できたのは間違いない。そして、思い出の場所で手を合わせ、頭を下げてその場を後にした。本当に、親子以上であった。そんな【ふく】に対して、そそうを【ふく】がした事等やマナーを守らない事を平気で虚言等を述べたり、横着な工作をする輩は、最低である。【ふく】がそういう事をしないのは、皆が分かっているし、私は【ふく】が悪く言われるのは本当に耐えられない事なので、しっかりとマナーを守った。これは【ふく】だけでなく、最低限のマナーである。
それ位、多くのマナーの常識ある人は横着と違い、気を使っているのは当然であろう。私は、昔から、無理をする人間なのは、知人は、皆知っているので、正直、骨髄炎で自分が立っているのもしんどいが、それは口に出さないようにしている。この病での20年間は明らかに物凄い過労を与えたのは間違いない。骨痛(骨の痛み)が主な症状です。痛みは大腿など長管骨(長い骨)に認められる頻度が高いのですが、全身のあらゆる骨に生じる可能性があります。痛みは夜間〜早朝に特に強く、日中にも見られる。運動や寒さなどにより悪化する傾向があるとされる。また、身体の内臓にも影響を与える病でもある。私は、骨折の経験もあるが、全く次元が違う疼痛である。それは、菌に侵されて、骨が破壊されているからであろう。しかし、相変わらず、厳しい修行は課している。偉大なわが師の益州大禅師の託した想いを守るため、そして【ふく】の涅槃での幸せを祈るために厳しい修行のノルマは課している。それが、今も【ふく】に対する無償の愛と感謝だからである。また、今月も大事な供養精進も待っているが、しっかりと成し遂げたく存じる。しかし述べたように【ベルリン飛行司令】の乾が大貫に安藤が「素敵な一発を俺ももらったところだ。」【中隊長、まさか、それを黙っていたんでは】「一つ貸しにしただけだ。」の状況なんかはるかに例えにならない状況の憤りになっている。それは、誰だって許さんだろうと皆が話すのは当然である。あまりにも常識に反していると、それ、私物だろう。本人の許可いるのは当然だし、そんな大の男が黒いスーツで、4,5人で取り囲み、「脅迫」そのものの言動をすれば、母親は物凄く怖かったのは誰が考えても同じ事を言うと知人達が話すのは当然である。それは人として許されない行為も当然だと話す。私は、本当にこの件の憤りは安藤大尉の憤りをはるかに超越している。絶対に許せない。

柿本英雄【道号法眼】

2024.06.09

私の愛息のヨークシャテリアの【ふく】が涅槃に旅立ち半年が過ぎた。精一杯に供養精進をした。私の身体は明らかに異変が起きている!

私の愛息の【ふく】の月命日の供養精進を無事に終えた。涅槃に旅立ち半年の歳月が流れた。【クリック】本当に【ふく】は、いろんな意味で私を救ってくれた。本当に目に入れても痛くない宝物であったし、本当に天が与えてくれた最高のギフトであった。赤子からの出会い、天命を終えるまで看取れたのは、本当に奇跡であった。本当に、月命日は安らぎの中で、供養精進を出来たのは、私の乾いた心に優しい水を注いでくれたようでもあった。確かに【ふく】はこの世でなく、涅槃にいるが、今も私に力を与えてくれているのは、間違いなく悟る事が出来ている。だから、今も厳しい修行を自分に課して【ふく】の涅槃での冥福を祈る事が私に多くの大事な思い出を与えてくれた【ふく】への変わらぬ思いと慈しみが心の中にある宝物であるからは間違いないと悟っている。最期まで、頑張った【ふく】にも私が、誠意一杯に精進している姿も見せなければならない。それが、【ふく】に対しての花向けでもある。今も、【ふく】を横に床につくと気のせいか、今も【ふく】が隣で安らかな寝息を立てている感じがし、私自身も今、身体の状態はかなり悪いが安堵する事が出来る。私の医療過誤の骨髄炎は既に二十年の歳月が流れた。身体の至るとこに影響が出始めているのは、自分でも自覚は既にしている。自分でも本当に、よくこの状況でこれだけ動けるものだと存じる。
【ふく】をはじめ、多くの大事な人達が私の背中を押してくれているのかと存じる。それは、当然、【ふく】、ドン、コウ、私を慈しんだ祖父、偉大な師の宮滋勝御住職【益州大禅師】立であろう。本当に、身体の限界は間違いなく通り越しているが、不思議に精神力、気力が私をひたすら、前に、前に進めてくれているようだ。今、私は自分の人生の終焉に間違いなく近づいているであろう。【ブッタの四門】(釈迦が太子として王城にいた時、東西南北の四門から出游して四つの事件を見て悟りを得た事東門を出て杖にすがる老人を見、生あれば老あるを悟り、西門を出て病人に会い、生あれば病あるを知り、南門を出て死人に会い、生あれば死あるを知り、北門を出て高徳の沙門(しゃもん)に会い、出家修行の志をたてたということ。の域に断食、座禅の修行は私を間違いなくそこへ導いた。)四門出遊(しもんしゅつゆう)ともいう悟り、釈迦が29歳の太子(ヴィパッシン王子)の時、王城の東西南北の四つの門から郊外に出掛け、それぞれの門の外で老人、病人、死者、修行者に出会い、人生の苦しみを目のあたりにして、苦諦に対する目を開き、出家を決意したという伝説として伝えられている。当然、普通の人間の五感をはるかに通り越し、六感さえも通り越し、七感は、今、私が終えたかもしれない領域で、その上の阿頼耶識(あらやしき)の域に入りつつあるのかもしれない。阿頼耶識とは、瑜伽行派独自の概念であり、個人存在の根本にある、通常は意識されることのない識の事とされる。眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識の8つの識の最深層に位置するとされる。当然、普通の人間には、必要もないし、意識すらもしないであろう。ただ、今の私の状態はここに近い意識感覚が芽生え始めている。
それ位に過酷に生きているからかもしれないし、何度も死に目の修羅場が、師から学んだ厳しい修行、そして、今、私自身が自ら課している厳しい修行がここの領域に近づいているのかもしれない。もし、そこに辿り着いた後、自分がその後は、どうなるのかは分からないが、精一杯に精進だけはしなければならない事だけは悟れている。今、まだ、絵を描く状態には程遠いが、【ふく】との私の絵は描いた事がないが、どうしても描かなければならないという気持ちも不思議に日ごとに増している。それはいつになるかは分からない。本当にかけがえのない宝物である事は紛れもないと強い気持ちが私をこの状態でも前に進めているのであろう。「本当に【ふく】」には感謝しかない。今、私は、20年前の医療過誤の骨髄炎で、身体中に大きなダメージが顕著(際立って目につくさま。誰の目にも明らかなほどはっきりあらわれているさま。)の状態になっているのかもしれない。恐らく、今は、その苦しみも超越していると存じる。「骨の強度が障害を受けて、周囲の臓器・器官にも障害が及ぶことがあります。そして1900年代(昭和)の死亡率が20%は事実であろう。」私は、症状が固定しているので、この事には覚悟はしている。これも天命だと悟っている。でも、その天命が現実になっても【ふく】との思い出を共有できた日々が安らかに癒してくれると悟っている。その癒しの日が終えたとき、私も旅立つ日になる事であろう。
しかし【ふく】との多くの大事な思い出、大事な物を見事に砕いてくれた蛮行は遺憾など通り越している。この件は必ず、はっきりとさせる。この様な卑劣な蛮行は見過ごさない。

柿本英雄【道号法眼】

2024.06.07

もう間もなく、愛息【ふく】が涅槃に旅立ち半年、多くの思い出が懐かしい!私は、どうやら医療過誤の後遺症が顕著になり出したようだ・・・・

もう間もなく、【ふく】が涅槃に旅立ち、半年となる。冬から、春になり夏を迎えた。今も、【ふく】を横にし、休んでいる。牛乳等の好物のお供え、写経も書き、供養は続けている。しっかりとした月命日の供養精進をしたく存じる。【クリック】
最初は、正直【ふく】を家族に迎えるのには相当に迷った。それは私が大きな医療過誤の骨髄炎で、この病の昭和の時代の死亡率は20%だったのが、大きな要因だった。何度も通い、【ふく】との出会いは運命で、私と【ふく】の天命と悟り、迷いが消え【ふく】は家族、愛息になった。私も病の闘いの辛さをとの闘いにも【ふく】が多くの勇気、多くの癒しをくれた。そして、暗闇の中にいた私を光がある世界に【ふく】が再び、戻してくれた。本当に人と犬であるが、親子を超えた関係だった。私は、そんな【ふく】を日ごとに慈しみ、眼に入れても痛くない「可愛いくた可愛いくてたまらなく、溺愛(むやみにかわいがること。盲愛した。)」これは、かつてお世話になったトリミング店でも「今日の友達」で書かれた事もあった。理由は食事も成犬であったが、私からでは無いと【ふく】はほとんど食べなかったからである。赤子のまま成犬になったからである。最初から、甘噛み等の物凄く甘えん坊であったが、私の性格でより,「甘えん坊になったからである。」だから、【甘えさせ過ぎ】と良く言われた。しかし、長楽寺の20年来の親しい知人はいいじゃないですかと話してくれた。本当に、私にはそれほどまでに大事な愛息であり、【ふく】もその思いに応えてくれた。幸せな日々は続いたが、横着な輩達のせいで【ふく】にもストレスがかかるようになった。本当に、今でも許せない、生涯に渡り許しはしない。私の留守の間に横着が高齢の八十半ばの母三脅迫の言動の件は、話したが【ふく】の出生の誕生日の「血統書」等のとても大事な物までも消えていた。本当に遺憾である。まさに、この件も述べたように【ベルリン飛行司令】の乾が大貫に安藤が「素敵な一発を俺ももらったところだ。」【中隊長、まさか、それを黙っていたんでは】「一つ貸しにしただけだ。」の状況なんかはるかに例えにならない状況の憤りになっている。それは、誰もが、そんな事は許さんだろうと皆が話すのは当然である。あまりにも常識に反していると、それ、私物だろう。本人の許可いるのは当然だし、そんな大の男が黒いスーツで、4,5人で取り囲み、「脅迫」そのものの言動をすれば、母親は物凄く怖かったのは誰が考えても同じ事を言うと知人達が話すのは当然である。それは人として許されない行為も当然だと話す。私は、本当にこの件の憤りは安藤大尉の憤りをはるかに超越している。心の中が、この様な野蛮な行為、卑劣さに、神仏の修行に精進しているが、悪霊、怨霊になり地獄の果てに落ちても。全く構わないところまでの心は同様である。しかし、卑劣極まりない。私に何も知らされてない状況で、これは蛮行を通り越している。命より、遥かに大事な物等がその様な状況になっていれば、誰でも遺憾であろう。本当に人生で、こんな卑劣な行為が続いたのは初めてで、安藤大尉の「一発貸しただけだ」はまさに通り越している。私は、自分でも重病の骨髄炎が重篤になったので恐れるものなど、何一つない人間、死ぬことなど怖くない人間に高齢の80半ばの母親、私に勝手に許可なくした「脅迫」そのものは本当に遺憾である。必ず、はっきりとさせる。【忍】の教も今は私の中で、この件に対しては消えている状況である。いまだに、私に何の連絡が無いという事はそういう事だったのだと確信している。私の愛息の【ふく】のまでにもそういう事は非常に遺憾のレヴェルは通り越しているのも同様である。私自身、【ふく】を育てていたのは、自分との病の闘いであった。今、私は、20年前の大きな医療過誤の重度の骨髄炎で、身体は本当に壊れて行くのは分かっていた。疲労が、この病は一番よくなく、かなりの過労でも【ふく】には心配させないようにおだて続けた。特に、最後の1年は、本当に自分でも、倒れそうな状態でも必死に、【ふく】の看病と叩き続け、慈しみ続けた。賢い【ふく】は私の身体の状態を分かっていたのかもしれない。だから、お世話になったトリマーさんは「【ふく」ちゃん、柿本さんを楽にしてあげたかったのですよ。」や20年来の長楽寺の親しい知人が最期、私の胸で天寿を終えた事に「【ふく】ちゃん、安心したんですよ。」も同じ意味合いが含まれていると存じるが、それは、今もさみしいこの胸を責め続けている。でも、【ふく】との思い出は、本当にかけがえのない宝物である事は紛れもない宝物である。「本当に【ふく】」には感謝しかない。今、私は、20年前の医療過誤の骨髄炎で、身体中に大きなダメージが顕著(際立って目につくさま。誰の目にも明らかなほどはっきりあらわれているさま。)の状態になっているのかもしれない。精密検査をしたが、更に詳しい精密検査を要するかもしれないが、治療する術は恐らくないであろう。「骨の強度が障害を受けて、周囲の臓器・器官にも障害が及ぶことがあります。そして1900年代(昭和)の死亡率が20%は事実であろう。」私は、症状が固定しているので、この事には覚悟はしている。これも天命だと悟っている。でも、その天命が現実になっても【ふく】との思い出を共有できた日々が安らかに癒してくれると悟っている。
しかし多くの大事な思い出、大事な物を見事に砕いてくれた蛮行は遺憾など通り越している。

柿本英雄【道号法眼】

2024.06.05

愛息犬のヨークシャテリアの長男のドンの月命日供養精進が無時に終えた!好物も供えた!

愛息犬のヨークシャテリアの長男のドンの月命日が供養精進が無時に終えた。ドンの大好物を供えた。【クリック】ドンは昭和の終り近くに生まれて家族になった大事な子だった。最初は、本当にどういう風に育てればいいが試行錯誤だった。ペット産業の市場も今ほど大規模でなく、ホームセンターも少なく、取り扱っている物も本当に少なかった。何よりも大変だったのは資料が、少なかった。パソコンも等のITとかもほとんど無く、図書館や書店で、本当に色々と調べた。【ふく】は身体も大きく丈夫だったが、ドンは、身体も次男のコウよりも小さく、あまり丈夫でなかった。丈夫だったのかもしれないが、食事とかの問題もあり、下痢が一番多かった。当然、病院の薬も、今ほど多くも無かった。しかし、あの当時、15歳までこの世で天寿を全うしたのは、かなりの長寿だったと存じる。それに、あの当時は家族という位置づけよりもペットという位置づけであった。ドンも散歩が大好きな子であった。あの小さな身体でよく、あの距離を走った物だと今も大事な思い出として残っている。本当に、ドンという存在が私の家族にならなければ、次男コウ、三男の【ふく】が家族になる事はなかったかもしれない。本当に、その様な事から、本当にドンの存在は大きいのが、今になって本当に悟る。こともできる。本当に多くの思い出をもらい愛情の大事さを悟らせてくれたドンの存在には本当に感謝するしかない。最後は、朝に天に召されていたので、看取ってやれなかった事は、本当に悲しい事であった。そして、身体の中の涙も全て出た思いであった。葬儀等はドンも長楽寺にて、コウ、【ふく】同様に取り行った。いえにも仏壇を購入し、長楽寺には長い間、仏壇を借りて、遺骨は仏壇に安置し、毎月の命日に雨の日でも通い、盂蘭盆会(盂蘭盆会(うらぼんえ)とは、太陰暦7月15日を中心に7月13日から16日の4日間に行われる仏教行事のこと盂蘭盆(うらぼん)、お盆ともいう。日本では、この「盂蘭盆会」を「盆会」「お盆」「精霊会」(しょうりょうえ)「魂祭」(たままつり)「歓喜会」などとよんで、今日も広く行なわれている。この時に祖霊に供物を捧げる習俗が、いわゆる現代に伝わる「お中元」である。)にも毎年、ドン、コウの遺骨を家の仏壇に安置するまで、ずっと通っていた。物凄い多くの方達が、家族のお参りに来ており、3,4時間は暑い中、迷っていた。その時から、長楽寺の親しい方にはよくしてもらっていた。長い事、医療過誤の骨髄炎が年々、ひどくなるまで、本当に通っていた。今年も案内状がやってきた。去年、【ふく】が天寿を全うしたので、今年は生きたいが、今の身体の状態では、今の所は、まだどうするかは未定である。聞いたら、毎年、家族の御参りは増えているとの事なので、親しい方に体調の事も相談をし、いい方法が見つかれば有難く存じる。その様な事情で行けない時は、私自身が師の教えに基づき、精一杯にしたいと存じる。また、大変な酷暑になるのは間違いないと存じる。盂蘭盆会で、一番大変な時は次男のコウちゃんが天寿を召された時であった。コウちゃんは7月16日に亡くなったので、コウちゃんの葬儀を終え、ドンの盂蘭盆会という時は、悲しみの最中であった。ギリギリでコウちゃんの葬式を終え、その次の日が盂蘭盆会であった。その期間は葬式が行われ無いので、台風の影響で盂蘭盆会の日が20日になったので、17日に葬儀が取り行えられたのは、覚えている。まだ、コウちゃんが天寿を終えたので、その時の盂蘭盆会は、本当に悲しみが強い中でドンを送ったのも大事な思い出である。恐らく、弟のコウの葬式にドンも力を貸してくれたのであろう。本当に、ドンは弟思いの立派な兄だと存じる。【ふく】も安心して、ドンに甘えている事であると存じる。本当にドン君、素敵な思い出と家族になってくれて心から、感謝をしている。
涅槃で再開できる日も近いと存じるので、その時に、弟のコウ、ふくと幸せに過ごせる事を私は、心よりも望んでいる。本当にしばらく、しっかりと供養精進出来なかった事は申し訳なく存じ、今回は、師の分も思いを込めて供養精進したので、その思いが伝わっていれば嬉しく存じる。次は、8日の【ふく】の月命日の供養である。この時もしっかりと精進したく存じる。

柿本英雄【道号法眼】

2024.06.04

ヨークシャテリアの愛息の長男のドンの4日は月命日、ようやく新しいデジカメが手元に入り撮影。しかし、心は供養より遥かに卑劣さに憤りが勝っている!

ヨークシャテリアの愛息の長男のドンの4日は月命日。久し振りにドンの供養の写経を書いた。【クリック】ドンは長男で、同じ昭和生まれの子だった。ドンは【ふく】の3倍、心に思いでとして生きている。ドンは、一番小さな子であった。そして本当におとなしい子であった。ドンを育てる時は、本当に手探りの中で育てた。今みたいにパソコンも無く、本で調べたり、聞いたりして懸命に育てた。まだ、ペット用品も少なく、食事もささみを湯がいたりして与えた。そして、人が食べる物も好んで食べた。【ふく】は果物は一切食べなかったが、柿、メロンも好んで食べた。お別れの火葬時に一番好物の高級メロンを入れた。残念ながら、ドンの最期は看取る事が出来なかった。朝に天に召されていた。15歳で当時としては、本当に長寿だった。散歩の時も私がベンチに座って休むと必ず、ベンチに飛び乗り、横で私に持たれたのは、今もはっきりと思い出として覚えている。これが、ドンの甘え方だったのだろう。そして、母に一番懐いていたが、母が留守の時、朝、頭を前足でかいて起こしに来たのも思い出である。また、私がファンヒーターを付けて昼寝をしていたら、ドンはファンヒーターの前で気持ちよさそうに眠っていた。今みたいに、暖かいペット服も無かったので、セーターを着せていた。やっと、私が居ない間に公社が私の部屋や物等を脅迫まがいの行為でデジカメ2台も無くなっていたが、ようやく購入できたので、写経を書いた物を撮影する事が出来た。本当に大の大人が4,5人で八十半ばの高齢の母を私の留守中に勝手に行った行為は許されない遺憾行為であるし、心の中ははるかにそれを超越した状態である。
私に会いに来るときは、肝に銘じている事だ。こういう八十半ばの高齢者等に対する脅迫そのものの行為を私は、一番嫌うし、許し難いのが私である。見んが言う通り、本当に怖かったと私も確認している。述べたように重篤な骨髄炎の症状が続いているし、私は死ぬことなど、何一つ恐れない。俗世を終える時は、必ず来るのは悟るまでもない事は、誰でも分かる。永遠の命などは存在などしない。必ず、終わるときが来る。この件で仏になれなく、悪霊、怨霊になってもなんの後悔もない。それよりも、卑劣な行為をする方がはるかに耐えがたい。
気が弱いから、こういう卑劣な行為しか出来ないのは、類は類をまさに呼ぶである。どういう言い訳をするかが非常に楽しみにしている。述べたように【ベルリン飛行司令】の乾が大貫に安藤が「素敵な一発を俺ももらったところだ。」【中隊長、まさか、それを黙っていたんでは】「一つ貸しにしただけだ。」の状況なんかはるかに例えにならない状況の憤りになっている。それは、誰だって許さんだろうと皆が話すのは当然である。あまりにも常識に反していると、それ、私物だろう。本人の許可いるのは当然だし、そんな大の男が黒いスーツで、4,5人で取り囲み、「脅迫」そのものの言動をすれば、母親は物凄く怖かったのは誰が考えても同じ事を言うと知人達が話すのは当然である。それは人として許されない行為も当然だと話す。私は、本当にこの件の憤りは安藤大尉の憤りをはるかに超越している。心の中が、この様な穢れた行為、卑劣さに、神仏の修行に精進しているが、悪霊、怨霊になり地獄の果てに落ちても。全く構わないところまでの心になっている。しかし、卑劣極まりない。私に何も知らされてない状況で、これは蛮行を通り越している。命より、遥かに大事な物がその様な状況になっていれば、誰でも遺憾であろう。本当に人生で、こんな卑劣な行為が続いたのは初めてで、安藤大尉の「一発貸しただけだ」はとうに通り越している。私は、自分でも重病の骨髄炎が重篤になったので恐れるものなど、何一つない人間、死ぬことなど怖くない人間に高齢の80半ばの母親、私に勝手に許可なくした「脅迫」そのものは本当に遺憾である。必ず、はっきりとさせる。【忍】の教も今は私の中で、この件に対しては消えている状況である。
いまだに、私に何の連絡が無いという事はそういう事だったのだと確信している。私の愛息の【ふく】のまでにもそういう事は非常に遺憾のレヴェルは通り越しているのも同様である。
デジカメも今はあまり製造されて無く手に入れるのも苦労した。それより、全てのSDカードもその様な状況は、大事な思い出を見事に砕いてくれた蛮行は遺憾など通り越している。

柿本英雄【道号法眼】

2024.06.03

私が家に戻った日は部屋や物が無茶苦茶になっていた。私の許可なしにこの件は本当に遺憾!自身が悪霊、怨霊になっても構わない出来事!師の【忍】さえ消え果てた!

私が家に戻った日は、本当に信じられない状況であった。私の部屋と物等が本当に信じられない状況になっており、私は私がいない間に何が起こったのか呆然とした。聞くと、私が居なくなって、すぐに公社等の連中が、毎日のようにやってきて、高齢の八十半ばの母に脅迫まがいの言動でこうなったとの話であった。私の私物に対して、よくそういう言動が勝手に許可無く出来たのは本当に許し難い出来事である。しかも黒服を着た男が毎日、入れ変わり八十半ばの母に脅迫そのものの言動は許し難い。弁護士さん達も本人の許可なく、そういう言動は出来ないのは当然の事である。母は、その時に恐怖で震えあがれば、当然、そうなるだろうと話すのは納得を誰もがしている。大体、私の問題で家族がそんな事をされる筋合いは無いと話すのは当然である。「あなたの私物でしょ。」と常軌逸出しているとの述べるのも当たり前であり、私自身も表現的には憤りであるが、心の中は、そんな物をはるかに通り越している。戻って、高齢の母に大の大人たちが4,5人がその様な言動を行い、脅迫そのものの行為は本当に表現上は遺憾だが、心の中は、遥かにその思いを通り越している。また、私が居る間は一切、そんな事はなかった。いない間に私に許可も得ずにその様な蛮行は断じて許される事ではない。はっきり言って、私は自分が俗世、あるいは終えてからも悪霊、怨霊になっても構わない様な出来事になっている状況であり、本当に卑劣極まりない。私の物であれば、その様な行為は勝手に出来るわけがない。私に会いに来たら、私は先に述べたように仏から、悪霊、怨霊に落ちても構わないのは肝に銘じておく必要はあるだろう。本人の許可も無く、脅迫のやり方は卑劣そのものである。八十半ばの母は、震えあがって涙が出たのは当然である。その状況になった物が、母は私が、どれぐらい大事にしていたか知っていたので触った事さえもない。また、私の大事な偉大な師の多くの大事な形見や、私を最も慈しんだ祖父の貴重な手紙、形見等もその様な状況になっており、母は、自分の意思でその様な事はしないのは分かっている。私がそれらをどれ位に大事な物としていたか分かっているから、公社等のそういう脅迫そのものの言動があったのは必ず間違いないし、状況的にも納得できる。さらに、机の中も、タンスの引き出しの中も同じ状況であった。本当に、憤りが、毎日増している。私の家族は何も関係ないは繰り返すが、モナが言う通り当然である。こんな私の許可も無く、勝手にここまで卑劣な言動が取れる者以外の憤りの言葉はない。私に尋ねに来るのを待っている。この俗世に何の未練もない男にこの様な行為は、悪魔、悪霊、怨霊にするのと何ら変わりが無いとしっかりと肝に銘じておくことは物凄く肝要であろう。「ベルリン飛行司令」で乾が大貫に安藤が「素敵な一発を俺ももらったところだ。」【中隊長、まさか、それを黙っていたんでは】「一つ貸しにしただけだ。」の状況なんか例えにならない状況の憤りになっている。それは、誰だって許さんだろうと皆が話すのは当然である。あまりにも常識に反していると、それ、私物だろう。本人の許可いるのは当然だし、そんな大の男が黒いスーツで、4,5人で取り囲み、「脅迫」そのものの言動をすれば、母親は物凄く怖かったのは誰が考えても同じ事言うと知人達が話すのは当然である。それは人として許されない行為も当然だと話す。私は、本当にこの件の憤りは安藤大尉の灯ではない。心の中が、毎日震えあがり、本当に、神仏の修行をしているが、悪霊、怨霊になり地獄の果てに落ちても。全く構わないところまでの心になっている。しかし、卑劣極まりない。私に何も知らされてない状況で、これは蛮行を通り越している。命より、遥かに大事な物がその様な状況になっていれば、誰でも遺憾であろう。本当に人生で、こんな卑劣な行為が続いたのは初めてで、安藤大尉の「一発貸しただけだ」はとうに通り越している。私は、自分でも重病の骨髄炎が重篤になったので恐れるものなど、何一つない人間に、死ぬことなど怖くない人間に。高齢の八十半ばの母親、私に勝手に許可なくした「脅迫」そのものは本当に遺憾である。必ず、はっきりとさせる。【忍】の教も今は私の中で、この件に対しては消えている状況である。
いまだに、私に何の連絡が無いという事はそういう事だったのだと確信している。私の愛息の【ふく】のまでにもそういう事は非常に遺憾のレヴェルは通り越しているのも同様である。

柿本英雄【道号法眼】

2024.05.31

祖父の月命日が無時に終えた!本当に多くの幼少時の素晴らしい思い出が浮かんだ!

祖父の月命日が無時に終えた。写経もしっかりと冥福を祈り書き上げた。私にとってやはり祖父は本当に特別に大事な存在であったと改めて悟った。【クリック】
本当に多くの思い出が幼少期から、若き青年時まである。幼少時、祖父の家では牛を飼っており、生まれて初めて見て驚いた事も今も覚えており、島から、本土によく巡航船で遊びに連れて行ってくれた事、耳の悪い私のために、薬を買いに本土まで行ってくれた事、畑仕事をした事という事より、子供だったので遊んでいた事。それ位に大好きな祖父であった。本当に数えきれない位にいつ慈しんでくれた祖父を私は、何も孝行も出来なかったかもしれないが、ただ、私に会ったときにだけ見せた笑顔は、私の心の宝物であった。私の愛息の【ふく】を私同様に可愛がってくれているであろう。やんちゃで甘えん坊の【ふく】も安心して涅槃で懐いていると感じる事が出来る。必ず、この祖父のために、私は正義を貫き通す。それが、私に出来る恩返し、孝行にも繋がる事だと悟っている。本当に、この時は、子供時代で一番の楽しい思い出であったのは間違いない。だから、私がそちらに行くまで、今しばらく見守り、力を貸して欲しい。そして、しっかりと笑顔で共に暮らしたく存じる。そして、今の私は、毎日「ふく」と過ごし、眠るときは【ふく】を横に眠りについている。なぜか、心が安らぐ。【ふく】もやはり、私にとってかけがえない愛息だったのは間違いないと改めて悟った。本当に「甘えさせ過ぎ」と言われた事は、今は本当に嬉しい言葉で、そして大事な言葉でもある。もちろん、ドン、コウにも同様の思いは当然である。いつもドン、コウ、ふくにミルクを供えている。そしてしっかり供養精進している。それが、今の私がやらなければならない事であるとも悟っている。しかし、横着というのは、本当に癒着するのが好きな輩でしつこいのも改めて悟った。そういう事が当たり前になれば、俗世を生きるのにふさわしい輩になるであろう。俗世というわずらわしいものが生きがいになっているのであろう。虚しいとさえも感じないのであろうと存じる。「世俗にまみれる」とは、煩悩にとらわれた生き方をすること、世俗的な生き方をすること」を言うが、それは権力とお金に執着するだけの魑魅魍魎(人に害を与える化け物の総称。また、私欲のために悪だくみをする者のたとえ)になり、いずれそれに応じた因果応報を受ける事さえも麻痺しているのであろう。お天道様が見ている(天の神」のことを意味する「天道」ですが、多くが太陽のことを指します。 空に高く昇っている太陽、つまり神様の前ではどのような善行も悪行もお見通しであるという意味で、人間の悪事に対して、ほかの人間が誰も見ていなくても太陽はきちんと見ているのだから、どんな時でも悪事ははたらからぬべきだと説く語。)さえも気付かない馬鹿者達なのであろう。私は、元々、俗世が嫌いでるがその様な道に落ちないように厳しい修行を自分に課している。悪行や蛮行をしても周りは喜ばないし、誰も幸せにすることなど、到底に不可能な事である。でも、悪行、蛮行が当たり前の輩はそういう相が顔に浮かんでいて、それがどんどんはっきりしてくることにも気づかないから、悪行、蛮行している事が当然なのであろう。私も偉大な師や慈しんでくれた祖父の様に仏様の様な相になれるように、日々精進している。しかし、それは非常に厳しい闘いでもある。自分との闘い程厳しいものは無いからである。私は、そこに辿り着くために自ら厳しい修行を残りのこの世の僅かな時間に課さなければならないのは本当に大変な事である。しかし、人間は自分の心がけ次第で仏様になれるのは、私は悟っている。
自分との闘いは本当に厳しいものである。しかし、そこで負ければ、俗世という生きるに値しない世界に落ちてしまう。それを悟りきるために自分に厳しい修行を課している。そういう人間は優しい人間が多い。

柿本英雄【道号法眼】

2024.05.30

非私を最も慈しんでくれた祖父の月命日を久し振りにしっかりと供養精進でき、少しだが心苦しさが消えた!

私を最も慈しんでくれた祖父の月命日を久し振りにしっかりと供養精進できた。私の誕生月と同じ月でこの世で天寿を全うし、涅槃に旅立った。本当に昨日のように思い出せる。【クリック】
偉大なわが師も師の素晴らしさを知っていたので戒名に翁(翁(おきな)は、年取った男、老人を親しみ敬って呼ぶ語)とした。そして、多くの住民も祖父を愛していた。師が言う通り、毎週、お寺に通いお花を交換するなどなかなかできない。流石に師も「感心する人物じゃった。」と話すのは、当然である。それ位に心が仏様だったという事だと私は悟っている。その様な祖父を私は本当に誇りに思う。記憶というものは消えていくが、祖父との多くの思い出は、いまだにはっきりと覚えている。一番慈しんだ孫の私が、その師の弟子になるのも天運だったのであろう。祖父は、甘いものが大好きだったし、お酒も好きだった。
しかし、凄い働き者だったし、真面目でお人好であった。その血筋も私はよく引いていると存じる。また、横着な人間は大嫌いな祖父であった。そこも私はよく似ているとこであると存じる。今もそうだろうが、「どこまで人がいいの!」と言われた事はよくある。だから、私の愛息だった【ふく】に対しても【甘えさせ過ぎ】と言われたのも納得は出来る。長楽寺の20年来の親しい知人が、「いいじゃないですか」は、私の本性がお人好しで穏やかなのをよく知り、人を気遣うのを知っているから、私について語られるのだと存じる。私は、ベルリン飛行司令の安藤大尉の様に【蛮行と愚行】しか選べないのなら、間違いなく安藤大尉と同様に【愚行】を選ぶ人間でもある。同様に「ただの鼻つまみ者(周囲からはなはだしく忌避されている人、嫌われている人)ではない。嫌悪する人間(横着、ファシスト(共産主義)もできる一方、彼を慕いうる人間も作りうる男なのだ。」だから、子供や動物も懐いてくれる。子供や動物は本当に心優しい人を自分の感覚、本能で分かるからである。そして、横着や蛮行には物凄い嫌悪感を抱く人間であるのも紛れもない事実である。それは、私が幼少期から、心優しく正義感の強い人が周りに多くいて育ち、私自身が、今も大好きな仮面ライダー、ウルトラマン等ヒーローのフィギュアを大事にしているのがその証である。そして、私を最も慈しんだ祖父を私自身も慕った事も凄く大きな要因の一つであるのも間違いない出来事である。私は、横着達の蛮行をした後に後ろめたさが感じないのが本当に信じられない。 そういう人間は因果応報というものすら感じていないから出来るのだろうと悟っている。卑怯な行いが出来るのは気の弱い人間のまさにする事で、正々堂々とも出来ないが、そういう輩は、それが正しいと自分を正当化しているにすぎない。本当に哀れ以外の言葉しかない。
あの厳しい座禅修行と断食は、間違いなく私の内なる力をさらに引き出したのは、私自身が一番自覚出来ている。普通の人は五感で十分に生活が出来るであろう。一流のアスリートやアーティスト等は六感の領域は身につけているであろう。それでも人の何倍の努力を要した事であろう。恐らく、私が、今回、自らに課した断食、座禅はそれ以上の領域の修行をしたであろう。それをしなければいけなかったのも私の天命だったのであろう。それが七感にまで到達したのか分からないし、なぜ、そこまでしなければいけないのかは、今は明確な答えは何も分からないが、ただ、これが必ず、新たな悟りとして役にたつと悟る事だけは出来る。しかし、精神が身体をはるかに超越したせいかいまだに、身体への負担はかなりあるが、元々、体力など、多くの修羅場で無いに等しいので当然でもあろう。本当に久方ぶりに祖父の月命日が出来たのは、本当に少しだが心苦しさが消えた。しかし、まだ、十分な事は出来ていないので今後もしっかりと祖父等大切な人のために供養精進に励む所存である。

柿本英雄【道号法眼】

2024.05.27

非業の戦死を遂げた伯父の月命日も無時に供養精進は終えた!天運というのは存在する。

非業の戦死を遂げた伯父の月命日も無時に供養精進は終えた。そしてすぐに祖父の月命日が巡ってくる。本当に歳月の流れは、早いものだと感じる。しかし、天運というものは人には分らない。今日は「ふく」の写経を書いた。私に「ふく」を与えてくれた事は、本当に至高の喜びと慈しみをくれた。今も【ふく】のいない暮らしであるが、「思い出」は、今も大事に残っている。私は、【ふく】を見る目は本当に自分でも慈しみ安らかな普賢菩薩の様な眼で間違いなく見ていた、そして今もそれは変わらないであろう。皆が【甘えさせ過ぎ】と言われていたのは当然である。【ふく】はそれだけ大事なものを私に与えてくれた。【クリック】
人間のこの世の時間も限られている。私の残された時間は分らないが、その時間は僅かなものであろう。最後に素晴らしい光を与えてくれた。慈しむ大事さを本当に、私を光ある場所に戻してくれた。【ふく】も赤ちゃんのまま大人になり、最後まで、母親となって甘えた。人と犬という関係であったが、親子であったのは間違いない。大事な愛息【ふく】のためなら、それが私の【ふく】を母親として慈しんだ証である。私が涅槃に旅立った時、私の元に走って抱きつき、そして私は「ふーちゃん」待っていてくれて有難う。これから過ごす時間は同じだよと、生前に出来た事や、出来なかった事を慈しみ過ごすであろう。それは、兄の【ドン、コウ】と同じ様に過ごしたく存じる。とにかく、私は、俗世というものが本当に苦痛である。私は時代錯誤の人間なのでそれは仕方無い事である。ただ、昔は今に比べ、俗世はまだ少なかったのでそこは恵まれた天運であった。信じられないほどの大事故に遭遇しても生き延び続けた。これも天運であったのだろう。しかし肩書はどうでもいいが、絵を描く画家になるのだけは、信じられない天運であった。本当に私は、人とはかなり違う奇抜な人生を今も送っている。私は、恐らく普通と違う感覚を身につける天運もあったのであろう。約50日に渡る断食、僅かな水分での5~8時間の座禅修行は、明らかに身体には大きなダメージを与えたが、精神、気力は通常の持つ人の五感を超え、六感は辿り着ける人はいるであろうが、それさえも越え七感に行き着いた気がする。しかし、私には、それが必要だったのであろう。たいていの人々は五感で生活するには何も困らず暮らせるはずだからである。自分でもそこまでしなければいけないのは、天運だからだと存じる。それは昔からそういう精神力は強かったが、偉大なわが師宮滋勝【益州大禅師】の元での修行で、私の中の内なる力が開眼したのは間違いない。そして、これも天運であったのは間違いないはずである。普通の人間が出来ない生き方をしているのが証である。私は、守り本尊の普賢菩薩様の気持を特に大事にしている。だから、【ふく】をあそこまで慈しむ事が出来たのだと存じる。「普く賢い者」の意味であり、世界にあまねく現れ仏の慈悲と理智を顕して人々を救う賢者である事を意味する。だから、蛮行を嫌うのは当然である。善い行いのために自分を犠牲にする事は、本当に勇気のいる事である。しかし、それが、大きかれ、小さかれ人を救う事になるであろう。しかし、それは、誰もが出来る事ではない。卑怯者は弱い人間なので絶対に出来ない事である。だからお釈迦様の右側に立つ脇侍。理知・慈悲をつかさどり、また延命の徳を備える。知恵の文殊様とともに諸菩薩の首位に置かれ、単独でも信仰される。独尊として表されるときは白象に騎乗しけっかふ座(座禅の足の組み方)、合掌の姿をとるのである。勇気がなく、物事に正面から取り組もうとしないこと。正々堂々としていないこと。こういう人間は最低なので、絶対になってはいけない。卑怯者は勇気がなく、物事に正面から取り組もうとしないこと。正々堂々としていないこと。魑魅魍魎(表にはっきりと姿は現さないが、私利私欲のために暗躍する者のたとえ。)これが、俗世であろうと存じる。
善き人間は正しきことを行い、胸を張れる。しかし、簡単な事ではないのは百も承知であるが、私は、そこに辿り着くために自ら厳しい修行を残りのこの世の僅かな時間に課している。
自分との闘いは本当に厳しいものである。そういう人間は優しい人間が多い。

柿本英雄【道号法眼】

2024.05.27

非業の戦死を遂げた伯父の月命日を4か月ぶりに行う事が出来たが非常に遺憾の行為は許し難い!

非業の戦死を遂げた伯父の月命日を4か月ぶりに行う事が出来た。【クリック】
本命日は先月だったが、しっかりと行う事が出来なかったので、心苦しい限りであった。20歳の若さは、余りにも早すぎた。写経、お供えはしっかりしたが、デジカメ等が、部屋からなくなり、まだ、購入していないので画像は添付出来ないのでご容赦して頂きたい。しかし、余りにも常軌を逸出している。本人の私物を勝手に処分するようにしたり、仕向けるのは、遺憾の一言以外の言葉しかない。私の留守中にそういう事をしたという事は許しがたい。当然、相手も私相手に覚悟相手にしたのだろう。まさに今の心情はこの者達にベルリン飛行司令の安藤大尉と同様である。「女、子供、老人、百姓にみさかいなく焼夷弾を降らせるんですか。二千、三千年の古い歴史のある街をがれきの山にする事ですか。」安藤の言葉は露骨な海軍非難であり、赤レンガ中枢の大貫への挑発であった。安藤は一歩前に踏み出し『その街を教えてください。京都ですか。長崎、それとも呉ですか。それなら、私は喜んで任務に就く。』大貫少佐が一歩前に踏み出し、安藤大尉の保々を拳で払った。【あっ】と山脇は思わず声を漏らした。何もかもが氷着いた。店内から、全ての音が消え、注視していた。大貫のうでには相当、力が込められていたようで、安藤はそむけた顔をもとに戻した。唇が切れていた。安藤は血をぬぐって、自嘲気味に床に血を吐いた。「今の言葉は聞かない事にしてやる。」「なぜです。」安堵はなお皮肉な調子をくずさずに行った。【安心しろ。誰もが貴様のなまいきなふるまいをとがめたりはしない。貴様が優秀な飛行士であればいいんだ。】「戦闘機の操縦に関しては、私は海軍一だと言ったら、副官はそれも生意気だととるでしょうか。」【その点については俺達双方に異存はない。俺は海軍一の飛行士を求めてここへ来たんだ。】二人は黙ったまま見つめ合った。やがて安藤は身構えを解いた。「話を聞かせて下さい。」店の中の張り詰めていた空気が不意に消えた。「零式戦闘機を非常に遠くまで空輸して欲しんだ。実に遠くまで」「それを最初に言ってくれたらよかった。それこそ、私にふさわしい任務だ」「零式戦闘機を二機と言いましたが、別々に。」【一度に同時に。】「もう一基の戦闘員は決まっているのですか。」【まだだが、貴様なら、当てがあるだろう。】安藤は微笑で言った。無垢で少年っぽい笑顔だった。「乾恭平一空曹を推薦させてください。」「この近くにいます。私も乾も翼を奪ばれて腐りきっていたのです。」乾に【貴様に任務を伝えに来た。この任務につかなければ生涯、悔やむ事になるであろう。もう、子供っぽい真似はよす事だ。俺は拳闘も苦手ではない。】『本等だ、乾。少佐は俺に素敵な一発をくれた。気持ちよく決まった一発だった。』
乾は眼を開き「中隊長、まさかそれで黙っていたんでは。」「一つ貸しにしたんだ。だが、貴様も話は聞いた方がいい。」まさに、私の心情はこの通りに行き通っている。卑怯な蛮行は、私は大嫌いなのは私の心情から、最低で遺憾以外の感情しかない。お陰で、伯父の供養を井用だけは、誠意を込めたが、十分には出来なかったのは本当に辛く心苦しいものであった。
これは、伯父以外にも言える事である。この男たちは何なのだ】と戸惑った。私も同じ様な事を言われるだろう。
これが、私がいない間に蛮行をした輩達に対しての答えである。とにかく、卑怯なやり方は偉大な師が物凄く嫌うのは間違いない。私は、正々堂々と必ずする。そうでなければ、親しい知人達にも申しわけがたたない。だから、あのような厳しい修行を課したのである。修行で一番、厳しかったのはほとんど、水さえも自ら飲まなかった事である。これは本当に名作のあしたのジョーの「力石徹」が命と引き換えたのを悟り、実感した。そうでなければ、若干二十歳で、涅槃に旅立った、伯父に合わす顔も無い。本当に心から敬意を示す。

柿本英雄【道号法眼】

2024.05.23

相当に体調が悪いが精神力、気力で厳しい修行を自身で課している。もう少しで、もう一つの新たな悟りが開けると存じる。決して楽な事ではないが、新たな物が必ずであると存じる。

体調は相当に悪いが、座禅、写経は続けている。かなり厳しい修行をしていたのは、紛れもない事実。ただ、新たな感覚に目覚めたのは、自他とも分かる。絶対にこんな事は無理と全員が話した。一度、40日目を過ぎた時、偉大なわが師が「愛息」【ふく】を抱いていて、「この子は元気じゃ。」と諭した時、一瞬、意識を安心したのか失った時があった。慌てて、職員が入ってきて、「私の名前」を何度か呼び、意識を取り戻した。その後も50日近くまでに断食と僅かな水分だけで修業を課した。こんな人間は初めて観たし、絶対に無理と話された。
しかし、既に述べたように、親しい多くの方等に責任を取るために自分に課したノルマのため、必ずやり遂げると決めていた。今後の人生への闘いのためにもやり遂げなければならなかった。私は、この俗世というものには縁のない人間であり、時代錯誤の人間であることも間違いない。
特に今は、音楽、本、漫画、テレビも何も心に響かない。その様な無駄な時間を使うなら、座禅に使いたく存じる。その方が、私にはよほど有意義である。また、私はブランドや、肩書などにも何の興味もない。それを身に着けたり、名のっても人間の中身の本質は何も変わらないであろう。これは、愛息の【ふく】の100か日を執りあげてくれた親しい知人も同じ様に話していた。座禅等の厳しい修行に励む人間は、その様なブランドや、肩書から何も得られないと同じ様に考えている方も多いであろう。修行というのは、強制されても何も身につかない。自らの意思で、そこに飛びこみ、自身に厳しいノルマを課す事によって、大事なものを掴む事が出来るからである。座禅で言えば、悟りの境地である。多くの誰もが、楽をして、その場だけの楽しみで過ごしたいであろうが、それはそれでよいであろうが、私は何が、その後に残るのか不思議であり分からない。それは、私の素晴らしい教えから、私自身が悟った事である。自分自身で苦しみの中に飛び込むのは、この俗世では、理解などはされないであろうが、それは、必ず後々に役に立つであろう。もうじき、非業の戦死した伯父と私を最も慈しんだ祖父に対しての供養精進にもなる事であろう。
それは、自分自身が、なにが善なのかも悟りとなり、現れてくるであろう。ただ、こういうものは、形として現れる事はない。また、周りからも理解されない事も多いであろうが、天は必ず、その努力を見ているのは間違いないだろう。
善と悪が分からない輩達の蛮行には馬の耳に念仏であるであろう。こういう人間は、自分が正しくない事をしていても、自分が正しいと自身で納得させるであろう。今回、私のいない間に大事な多くの物がなくなっており、これは本当にこの様な勝手は許しがたい事である。必ず、この様な蛮行には因果応報が待っている事であろう。私が、いない間にこの様な事は卑怯な人間がやる事である。卑怯な人間は「気が弱い、勇気がなく、物事に正面から取り組もうとしないこと。正々堂々としていないこと。勇気がなく、物事に正面から取り組もうとしないこと。正々堂々としていないこと。」これを周りが観ていても自分達は卑怯ではないといくら話しても虚しい自己弁護をしかまらず、周りはしらけた眼でしか見ないであろう。私もベルリン飛行司令の安藤大尉の様に卑怯な蛮行を物凄く嫌う人物である。副官が部下の乾に「俺は拳闘が決して苦手でない。」安藤は『本等だ。乾。少佐は俺に素敵な一発をくれた。気持ちよく決まった一発だった。俺は赤レンガを少しだけ見直した。』中隊長、乾は眼を見開いて「まさかそれで、黙っていたんでは」「一つ貸しにしただけだ。だが、貴様も話だけは聞いた方がいい。ついでに貴様と組みたいと言い出したのは俺の方なんだ。」 「中隊長がそういうなら、じゃあ、また飛行機に乗れるという事なんですね。大貫が【零式戦艦】「副官、乗りますよ。俺はどこなんですか。」【ベルリン】「飛んでいけましたっけ」「何日かかかる。」先日の遠田大尉と反応が全く違い過ぎる。遠田大尉が一般の海軍の飛行士を代表しているなら【この男たちは何なのだ】と戸惑った。私も同じ様な事を言われるだろう。
これが、私がいない間に蛮行をした輩達に対しての答えである。とにかく、卑怯なやり方は偉大な師が物凄く嫌うのは間違いない。私は、正々堂々と必ずする。そうでなければ、親しい知人達にも申しわけがたたない。だから、あのような厳しい修行を課したのである。修行で一番、厳しかったのはほとんど、水さえも自ら飲まなかった事である。これは本当に名作のあしたのジョーの「力石徹」が命と引き換えたのを悟り、実感した。

柿本英雄【道号法眼】

2024.05.23

わが師宮滋勝御住職と一基の供養も終えた。私のいない間に卑怯な出来事があった。こういう人物は気が弱く堂々と出来ない最低人間!

わが師宮滋勝御住職【益州大禅師】の月命日、一基の月命日供養も無時に執り行った。【クリック】
しかし、画像は添付する事は出来ない。戻ってきたら、デジカメ、パソコン等の多くの物が消えていた。そういう事が起きたのは、あの人間達らしいやり方。しかし、否定するだろう。本当に信じられない出来事を聞いたのは私だけではない。これは酷いに納得をしていた。因果応報というものを受けるであろう。そういう事を何も考えてもいない人間は、平気で蛮行が出来る。
ようやく、お世話になった先生にもお礼の挨拶にも行けた。身体が相当にきついのにと私を労わってくれた。本当に人間が出来た先生で、私はいい知人達に本当に恵まれている。本当にこれも私に天が与えてくれた恩恵である。
【ふく】の100か日を執り行ってくれた親しい知人も大事なのは肩書でない。正しくもの事を見るかが大事と話していたが、まさにその通りであると私も存じる。
この国は民主主義であるが、共産主義のファシストの様な輩はたくさんいる。当然、そういう輩は、類は類を呼ぶし癒着もある。当然、欲の塊でもあるのは当然であろう。ようやく大事な人達も供養精進が出来はじめて自身もほんの僅かだが、気持ちも楽になっていた。しかし、よく、自分でもあれだけの厳しい修行を課して生きていたと思う。一番きつかったのは、僅かな水しか自らの意思で飲まなかった事である。あの伝説のボクシング漫画の「試合で殉死を遂げた力石徹」の凄さをまさに私自身も体験した。周りが、明らかに人の領域を遥かに超えていると、全ての人達が話していた。
特に私は、【骨の癌】の重度の骨髄炎も抱えている。本当に、いまだも身体も相当にきつい。周りが驚いたのは、その状況でもまだ、喋れるのは凄い精神力と話していた。しかし、これは、後に真実が明らかになった時でも親しい知人達に心配、ご迷惑をかけた事に対しての自らに課したノルマである。これでも生き抜いたのは、私は偉大な師が話したように「まだ、死んでは、天がいかんという事じゃ」と諭したことを身をもって悟った。身体は、まだ、元に戻るのは、少しかかるだろうが、いまだ、座禅も組んでおり、写経も書き始める事が出来はじめられている。
ただ、今期の修行で、明らかに普通の人間の感覚を超越したのは、私自身が一番悟っている本当に多くの物が無くなっていた事に呆れ果てた。この様な信じられない事が起きたのは、人間がやるような事ではない。善と悪が分からない輩達の蛮行以外の何でもない。他にも、大事な多くの物がなくなっており、これは本当にこの様な勝手は許しがたい事である。必ず、この様な蛮行には因果応報が待っている事であろう。私が、いない間にこの様な事は卑怯な人間がやる事である。卑怯な人間は「気が弱い、勇気がなく、物事に正面から取り組もうとしないこと。正々堂々としていないこと。勇気がなく、物事に正面から取り組もうとしないこと。正々堂々としていないこと。」これを周りが観ていても自分達は卑怯ではないといくら話しても虚しい自己弁護をしても周りはしらけた眼でしか見ないであろう。
私もベルリン飛行司令の安藤大尉の様に卑怯な蛮行を物凄く嫌う人物である。副官が部下の乾に「俺は拳闘が決して苦手でない。」安藤は『本等だ。乾。少佐は俺に素敵な一発をくれた。気持ちよく決まった一発だった。俺は赤レンガを少しだけ見直した。』中隊長、乾は眼を見開いて「まさかそれで、黙っていたんでは」「一つ貸しにしただけだ。だが、貴様も話だけは聞いた方がいい。ついでに貴様と組みたいと言い出したのは俺の方なんだ。」 「中隊長がそういうなら、じゃあ、また飛行機に乗れるという事なんですね。大貫が【零式戦艦】「副官、乗りますよ。俺はどこなんですか。」【ベルリン】「飛んでいけましたっけ」「何日かかかる。」先日の遠田大尉と反応が全く違い過ぎる。遠田大尉が一般の海軍の飛行士を代表しているなら【この男たちは何なのだ】と戸惑った。私も同じ様な事を言われるだろう。
これが、私がいない間に蛮行をした輩達に対しての答えである。とにかく、卑怯なやり方は偉大な師が物凄く嫌うのは間違いない。私は、正々堂々と必ずする。そうでなければ、親しい知人達にも申しわけがたたない。だから、あのような厳しい修行を課したのである。

柿本英雄【道号法眼】

2024.05.21

悲しい事故で天命を終えた一基の月命日が無時に終えた。そして、偉大なわが師宮滋勝御住職【益州大禅師】の月命日も取り行えられ、心が安らいだ!

悲しい事故で天命を終えた一基の月命日が無時に終えた。本当にほんの少しだけだが、この供養で気持ちが安らいだ。そして偉大なわが師宮滋勝【益州大禅師】の月命日供養も行った。【クリック】
今回、偉大な師は、私をどの様に思っているかは分からない。ただ、愚行であったが、悪に立ち向かった事だけは、涅槃で見ているであろう。
そして、その責任で厳しい約50日の座禅、5~7時間の座禅でどのような理由があれ、自分を罰した事もどの様に、私を見ているのかは、私には分らないが、私は自身でも「全ての事が明かにする事に行ったのは紛れもない事実である。愚行であろうと、この事が世に知れ、善き生活が多くの方達が民主主義になり、幸せに暮らせるようになれば、私は、どの様な批判も甘んじて受ける。私は、俗世に生きられない人間なのは明らかである。
だから、時代錯誤の人間である事も自身で認めている。そして、それは私自身が間違いなく改めて悟ったのも事実である。
【ふく】の100か日法要はしっかりと執り行って頂き、本当に心から感謝もしているし、本当に温かいお言葉を頂くと同時に事情は分かっていますからと私を労わって頂き誠に感謝している。本当に私は、人に恵まれている。有難い以外の言葉と申しわけない意外しかない。
ただ、虫がいいかもしれないが、これは蛮行ではなく、愚行である。今からすべきことは必ず、真実は明らかになるはずである。「この断食、座禅は事実で、毎日、僅かな水分だけで過ごした。」これは、強要されたわけではなく親しい皆様への責任で自ら行った。当然、周りは心配しておりました。大きな件ではありません。本来は、2日、3日、20日で終わっていましたが、あのような状況になったので已む得ない事でしたので、甘んじて罰を受けた。先に述べたとおり、私は、命懸けの修行を自らの意思で課しました。
今後は必ず、真実は明に致し、御述べさせていただくが、現時点ではここまでしか語れないがご容赦をお願いしたく存じる。さらに去年、涅槃を旅立った従弟の一基、従弟一基、一周忌も無時に終えた事で、本当に安心した。体調等が、戻り次第、供養に供養にも行きたく存じ、また、串本海中公園に連れて行く約束も果たしていないので、それも果たしたく存じる。そして師の墓前の前で、しっかりとお手を合わせたく存じる。
いかなる理由があろうと私が愚行を起こしたのは、間違いないので、冒頭に述べたとおり、改めて、心より謝罪もしたく存じる。「本当に今回は色々と申しわけないと同時に、温かく迎えて頂いたのは嬉しい限りであります。」皆が、その様な事をする人間で無いので、よほどの事があったのだろうなと話し、事情は説明したら、やはり、そういう事があったんだ。しかし、家族は、この件は関係無いのに、おかしな事をされているが、それも今は、述べる時期では無いので、時期が来たら、明らかにしたく存じる。ただ、かなり卑劣な出来事であった。本当に許しがたい出来事であった。この様な卑劣なやり口は本当に類は類をまさに呼ぶである。最後は繰り返しになるが、本当に、多くの親しい知人の皆様にご心配をかけた事を心よりお詫びいたします。本当に一番親しい知人等は、自分の意思で、50日近い断食、座禅にそんな事が出来るのか。もう十分だよ」とも温かく話してくれた。
他の親しい知人達も同じ様にお述べして頂き、心から、申し訳ないと同時に感謝以外の言葉しかない。
本当に、私はこれといった財産もない人間ではあるが、人にだけは恵まれたと存じている。
本当にこれこそが、本当の財産かと存じ、天に感謝している。
しかし、「神聖なる負債」を負ったのは紛れもないので、今後、更に精進し、その負債を返したく存じる。本当に私は、「親しい知人達、ふく、偉大な師等に恥じるべき行為をしたので、「神聖なる負債」は必ず、返さなければならない。述べたように、一段と精進に励みたく存じる。それ以外、私は親しい知人達に返す術はない。
本当に色々とご迷惑をお掛けしたが、虫がいいかもしれないが、今後とも宜しくして頂ければ、御幸甚である。身体は、本当にボロボロの状態で、本当に精神力と気力だけでなんとか持ちこたえているのが、今の私の現状であるのは間違いないが、私は何もこの状態に後悔などはない。恐らく、限界などとうに超えているのも間違いないのは悟っている。一基とわが師の月命日が自身で行えて、本当に少しだけ、心が安らいだ。

柿本英雄【道号法眼】

2024.05.20

約150日ぶりに私の愛息の【ふく】、従弟の一基に写経を書いた。また、ふくの100か日と従弟の一基と叔母の一周忌を私に代わり行って頂き感謝の言葉しかない。

約150日ぶりに私の愛息の【ふく】と20日が月命日の一基のために久方ぶりに写経を書いた。
以前より、簡単にさらにしっかりと書けた。残念だが、画像は添付できない。私がいない間に私の部屋の中をめちゃくちゃにされる出来事が起きたからである。私の同意もなく、勝手に脅迫まがいの行為があったようだ。パソコン、デジカメ2台にわが師の形見や大事な絵、フィギュアさらに現金まで消えていた。家に帰って本当に驚愕した。この様な事が許される訳がない。本当に最低な人間達、やはり類は類を呼ぶ。本当に遺憾で許しがたい出来事である。この件は、後に明らかになる事であろう。
心配だった愛息の【ふく】の百か日も親しい知人が、無事に取り行ってくれ、本当に感謝以外の言葉以外しかない。また、従弟の一基と叔母の一周忌も一基の同級生の住職様が無時に取り行ったと聞き、ほんの僅かだが、心が楽になった。【クリック】
本当にこの方達は人間が出来ていて、本当に素晴らしい私には、もったいない知人達である。また、多くの親しい知人達は、変わらぬ態度で接してくれ、本当に感謝している。私の事を信じてくれ、よほどの事情があった事も理解してくれ、本当に有難い限りである。いからぬ理由があろうとこの方達に神聖なる負債を背負ったのは事実なので、私は50日近い断食、5~7時間の座禅を毎日行い。その後も、一日ほぼ一食だけの食事量と3~5時間の座禅を組み続けた。私は愚行を行ったのは事実であるが、蛮行は行っていない。あのような状況になれば、已む得ないであろう。本来は、あそこまでの重い事例では無いと法律家は、まず話すであろう。私はこの件は、【ふく】、わが師、親しい知人達には、本当に恥じている。だから、厳しい罰を自分に課したのである。しかし、これから、本当の真実が明らかになるであろう。この自分に課した罰は事実である。当然、命がけで行っていた。
本当に、調書には信じられない事ばかり、述べられていた。卑怯な人間は気の弱い人間なのでああいう事しか出来ない。間もなく真実は必ず、明らかになるであろう。当然、これだけの無理をしていたので、まだ、身体には相当なダメージの負担があるが、少しづつ真実も明らかになってきている。いくら、口で可哀そうと述べても、悪が善に代わる事はない。それは、何もしていないと同じ事である。私は、口だけでなく、身をもって実行した。皆が、そんな自分を犠牲に出来る人は、まずいないと話すのは当然な事であろう。
私は世間の人に比べ、損をしているのは、自分でも分かっている。
しかし、それが私なのである。私は弱い人間ではない。強い人間と皆が言う。それは、私自身も認めている。今後も私は、悪とは闘い続けるであろう。しかし、今回の時分に課した修行で新たな力は、間違いなく覚醒したのは、自分自身が実感している。しかし、【ふく】、一基、叔母の大事な日を自身で弔えなかったのは、本当に自身でも不様で悲しく辛い事である。【ふく】にも本当に寂しい思いをさせてしまった。【ふく】は、もう涅槃にいるが、私の心の中で大事な思い出として生きているのは、まぎれもない事実である。今後も慈しみたく存じる。
また、一基も同様である。20日は一基の月命日であり、しっかりと供養精進したく存じる。そして、述べたが、本当に、今回は親しい方達に心配とご迷惑をお掛けした事を心からお詫びする。この神聖なる負債には、私は、一段と精進に励まなければならない。それしか私は出来ない。
しかし、横着な連中は本当に卑怯である。私がいない間に、私の家族に脅迫まがいのやり方を恥と思わないのは、本当に私は、絶対に許せない。必ず、多くの蛮行は明らかにし罰する。そしてこの者達は、必ず因果応報を受けるであろう。それが人と天の違いである。
しかし、何もその様な事に気づきもしない哀れな輩であろう。今回の件は、私は意味も無くしたのではないのは紛れもない事実である。世間がどう思うが勝手であるが、私自身は大儀をもって行ったのは紛れもない事実である。本当に親しい知人達に心配、ご迷惑をかけたのは紛れもない事実なので、自分自身を罰した事が、伝われば嬉しく存じる。

柿本英雄【道号法眼】

2024.05.17

お詫びと感謝と神聖なる負債の償い、そして闘い!

謹啓
まず、私のホームページを見て頂いている方、ご協力者、親しい知人に心からのお詫びを申し上げ致します。
「本当に申し訳ないと同時に、御心配をお掛け致し誠に申し訳ございませんでした。」私は、自身を罰するために、約50日に渡る断食と毎日5~7時間の断食、僅かな水分だけで過ごし、自分自身を罰しました。【クリック】
今の段階では詳細はお述べ出来ないですが、時期が来れば、必ず真実をお語り致しますので、ご容赦ください。ご理解頂ければ御幸甚であります。多くの親しい知人達は、状況を知っているので依然と変わらずお付き合いはさせて頂いており、本当に有難い限りです。
私の愛息の100か日は、葬儀、49日を私に代わって行ってくださったお寺で行って頂いた20年来の知人には、本当に心から感謝以外の言葉しかございません。「【ふくちゃん】の100か日法要はしっかりと執り行いましたから、安心してください。」と本当に温かいお言葉を頂くと同時に事情は分かってますからと私を労わって頂き、また、自分を罰した事をお述べしたら、それは修行の域、人間の領域を超えてますよ。修行を終え山(お寺)を降りたでしょうと身体を労わって下さい。他の親しい皆様も笑顔で接して、冗談を話し、お気遣いを頂いた事も本当に感謝している。本当に私は、人に恵まれている。有難い以外の言葉と申しわけない意外しかありません。
ただ、虫がいいかもしれませんが、これは蛮行ではなく、愚行です。必ず、真実は明らかになるはずです。「この断食、座禅は事実です。毎日、僅かな水分だけで過ごしました。」当然、周りは心配しておりました。大きな件ではありません。本来は、2日、3日、20日で終わっていましたが、あのような状況になったので已む得ない事でしたので、甘んじて罰を受けました。先に述べたとおり、私は、命懸けの修行を自らの意思で課しました。
現時点では、これで虫がいいかもしれませんが、ご容赦ください。必ず、真実はあきらに致し、御述べさせていただきますので、現時点ではこれで、ご容赦ください。さらに去年、涅槃を旅立った従弟の一基、叔母三七代、祖父、祖母、伯父、叔父、従妹の本命日、偉大な師の月命日も供養もしっかりと出来なかった。特に従弟一基、叔母の大事な一周忌は、体調等が、戻り次第、供養に供養にも行きたく存じ、また、串本海中公園に連れて行く約束も果たしていないので、それも果たしたく存じる。そして師の墓前の前で、しっかりとお手を合わせたく存じる。
最後の法廷に向かう前に、職員たちが敬礼をして頂いた。これは、本当に嬉しく感謝してし、私は行ってきますと話し、法廷に向かい、無事に終えた。そして戻る前に、礼を直に言いたいのだがと話したら、もうその場に行く必要はありませんよと言われ、では、お礼をしっかりと伝えて頂きたいとお頼みし、約束しますと話し、後にして、戻った。後で、関係者に話したら、そんな事があったのですかと話し、それは間違いなく「当然、柿本さんに敬意を払ったのですよ」と話し、改めて感謝の気持が込み上げてきた。いかなる理由があろうと私が愚行を起こしたのは、間違いないので、冒頭に述べたとおり、改めて、心より謝罪もしたく存じる。「本当に今回は色々と申しわけないと同時に、温かく迎えて頂いたのは嬉しい限りであります。」皆が、その様な事をする人間で無いので、よほどの事があったんだろうなと話し、事情は説明したら、やはり、そういう事があったんだ。
しかし、家族は、この件は無いのに、おかしな事をされているが、それも今は、述べる時期では無いので、時期が来たら、明らかにしたく存じます。最後は繰り返しになりますが、本当に、多くの親しい知人の皆様にご心配をかけた事を心よりお詫びいたします。本当に一番親しい知人は、自分の意思で、50日近い断食、座禅にそんな事が出来るのか。もう十分だよ」とも温かく話してくれた。
他の親しい知人達も同じ様にお述べして頂き、心から、申し訳ないと同時に感謝以外の言葉しかない。
本当に、私はこれといった財産もない人間ではあるが、人にだけは恵まれたと存じている。
本当にこれこそが、本当の財産かと存じ、天に感謝している。
しかし、「神聖なる負債」を負ったのは紛れもないので、今後、更に精進し、その負債を返したく存じる。本当に私は、「親しい知人達、ふく、偉大な師等に恥じるべき行為をしたので、「神聖なる負債」は必ず、返さなければならない。述べたように、一段と精進に励みたく存じる。それ以外、私は親しい知人達に返す術はない。
本当に色々とご迷惑をお掛けしたが、虫がいいかもしれないが、今後とも宜しくして頂ければ、御幸甚であります。

敬白
令和6年5月17日
柿本英雄 道号【法眼】

2024.01.26

私の慈しんだ愛息のヨークシャーテリアだった【ふく】の四十九日法要が無時に終えた。「ふーちゃん、本当に愛息になってくれ有難う。涅槃で安らかに!

私の愛息のヨークシャーテリアだった【ふく】の四十九日法要と精入れを長楽寺で無事に終えた。寒い日であった。寂しい事であるが、これが今世での別れである。今頃は、涅槃で安らかな日々を過ごしているであろう。
私は、全体偉大な師の形見を黒い袈裟を身に着けその上から輪袈裟をかけて身に着けた。袈裟を着けるとは仏教徒の証であり仏さまの御心、すなわち慈悲の心を身にまとう意味がある。ですから袈裟を着けるのは僧侶だけではない。
皆さまもお墓参りやお寺へ参拝に行かれる際には、「輪袈裟」(袈裟を簡略化したもの。首からさげます)をかけた。そして師の形見の菩提樹の数珠、そして木で作られた大玉の数珠で、長楽寺の僧侶様が法要、精入れの間、ただ、【ふく】の今生の別れと涅槃に辿り付く事を供養祈願した。長楽寺は私が修行した同じ禅宗である。日本仏教においては禅宗(曹洞宗・臨済宗)の1つであり、始まりは鎌倉仏教の1つとしてでもあった。だから、元は、同じであったが、途中で分かれた禅宗である。今も交流があり、兄弟に近い禅宗であると言われる。
今回の四十九日法要でも素晴らしい僧侶ためにあたり、非常に有難かった。その方も【ふく】が最後は私の胸に抱かれて息を引き取り、天寿を終えた事に、それは、長楽寺の20年来の親しい方、トリミングでお世話になったトリマーさん同様に、本当に稀なケースであると話していた。多くは、帰宅後や朝に天寿を終えるのが多いが、本当に絆が強かったんでしょうねと有難い言葉を頂いた。本当に私は【風】の母親で最後まで慈しみ、そして【ふく】は私を大好きな愛息であったのは、間違いない。だから、四十九日法要の最後まで、7大仏像様や閻魔大王様に自身の厳しい修行を課し河岸したのである。
無時に終えた後、【ふく】に不安は一切、心に無かった。そして、私も禅宗で修行をしているので、色々と大事な法話(法話とは、僧侶など仏教に携わっている人物が、仏教の教えに基づいた話を一般の人向けに分かりやすく説き、聴かせること)本当に、私には、役立つ多くの事を学ぶ事も出来た。そして、【ふく】の大好きなボールのおもちゃ、【ふく】と私の写真にも精入れもして頂いた。(魂入れとは、仏壇やお墓を購入した時に営む法要です。「開眼法要」「お性根入れ」ということもある。単なるものだった仏壇など、魂入れを行うことで手を合わせる対象になる。)
このほか葬儀後、四十九日法要までに用意する本位牌や、仏壇に祀る本尊も購入した時も魂入れもして頂いた。私には、一番大事なものになるのは、間違いなく。大事にしたく存じる。私も、【ふく】のための四十九日まで必死に座禅、写経、水ごり(神仏に祈願する時、冷水を浴びて汚れを除き心身を清浄にすること。)等も仏様等に祈願していたので、一気に過労等が噴出した。それ位、私も【愛息】の【ふく】のために、限界を超えていたのかもしれない。ただ、これで、【ふく】が安らかに過ごせるなら、なんという事もない。
そして、長楽寺の20年来の親しい知人は、今日はいなかったので、お礼の品の写真、ポストカード、お菓子等を預かってもらった。そして、帰りにみつまめ倶楽部港店で【ふく】がお世話になったトリマーさんにも同じ物をお渡しし、有り難く受け取ってくれた。そして、私が、ここで、本当に【ふく】とお別れですと話したら、でも、【ふくちゃんは本当に、柿本さんが親で本当に幸せだったはずですよ。だから、最後は、柿本さんに抱かれて天寿を全うした】と同様の言葉を頂いた。今は、まだ、四十九日法要を終えたばかりなので、これから、色々な【ふく】との思い出や記憶が蘇ってくるかと存じるが、その時の私の心は何を思うだろうか。ただ一つだけは分かる。【ふく】と親子になれた事には本当に感謝するであろう。
「ふーちゃん、私は本当にふーちゃんと出逢う事は、天の定めだったのであろう。」本当にふーちゃんには多くの大事なものを頂いた。そして、誰にも心のすべ全てをふーちゃんが開いて、それを受け止めてくれた。そして、ふーちゃんは血の繋がりは無いが、最後まで、本当に私のこの世で、一番の宝物であった。四十九日法要は、大事な法要であった。れは功徳を積むと同じ意である。功徳は、故人の魂を磨き、遺族の方たちの魂も磨きます。ただ、世間体があり供養をするや、自分自身に返ってくるからというような気持ではなく、損得を超えたところで、心から故人への感謝の念を持ち、冥福を祈り喪に服すのが大事である。
私は、四十九日まで、私の守り本尊の普賢菩薩様も含め、一心に修行に励んだ。その思いが、仏様に届いた事を祈願する。ただ、私は【ふく】にストレスを与えたものは命に賭けても許さない。必ず、命に賭けてもケジメを付ける。
私は、普賢菩薩様の気持を特に大事にしている。だから、【ふく】をあそこまで慈しむ事が出来たのだと存じる。そして、私が【ふく】の親となり、【ふく】が愛息は天が定めていたのであろう。でも、本当に素晴らしい13年であり、本当に、私の人生で、一番、大事な至高の幸福であった私の絵は優しいというのは、【ふく】を慈しむ心が大きな影響を与えているのは間違いない。
【ふく】には、名港鈴木歯科医院の医療過誤で、人生がもう終えていたかもしれないが、最後に素晴らしい光を与えてくれた。慈しむ大事さを本当に私を光ある場所に戻してくれた。【ふく】も赤ちゃんのまま大人になり、最後まで、母親となって甘えた。人と犬という関係であったが、親子であったのは間違いない。大事な愛息【ふく】のためなら、それが私の【ふく】を母親として慈しんだ証である。元来、私は真面目で、優しく正義感の塊だったが、それは私の守り本尊の普賢菩薩様のようだと偉大な師も感じていたはずである。相対するものへ清く優しい慈悲の心を持ち、辛抱強くなるようにと願っておられ 普賢菩薩様は、施し・戒律・忍耐・精進・精神集中・智慧を獲得するための修行をされて悟られた仏様です。私が女性に間違えられるのは、普賢菩薩が守り本尊で女性特有の優しさ、気遣いや容姿からかもしれません。そして私は偉大な師をはじめ慈悲深いし「お人好し」とも言われます。だから、【ふく】は私を母親と思い赤子からずっと甘えていたのかと存じる。「甘えさせ過ぎ」と良く言われたのも事実である。愛息【ふく】の四十九日法要が、【ふく】に素晴らしい思い出となれば、母親として、これ以上の安心感はないであろう。 「ふーちゃん、本当に多くの幸せを有難う!愛息ふーちゃん涅槃で安らかに・・・」
「ふーちゃん本当に素晴らしい13姉間を有難う。母親の私は絶対に忘れない。」
26日は、非業の戦死を遂げた伯父の月命日で精一杯に供養精進はした。
最期に、「ふーちゃん、本当に有難う。涅槃で来世まで安らかに!」

柿本英雄【道号法眼】

2024.01.25

私の愛息のヨークシャーテリアだった【ふく】の四十九日法要を迎える。涅槃での幸せと安らかな時を全ての思いで供養し祈願する。

いよいよ私の愛息のヨークシャーテリアだった【ふく】の四十九日法要を迎える。【クリック】
雪が降った日であるが,止んだときに、【ふく】と多くの思いでの公園に行って来た。
そして、【ふく】の四十九日法要で供える好物や花も用意した。そして、これが四十九日法要の最後の夜でもある。写経に「四十九日法要供養とも入れた。20年来の長楽寺の親しい方が、その写経は持ってきてください。御炊き上げ神仏にかかわるものや、思いがこもったものなどを火で燃やして処分する習慣がある。お焚き上げは伝統的な供養の方法であり、大切な方の遺品を供養するために行われることがある。
また、神社やお寺などに前の年のお守りやお札を持ち寄って浄火してもらうお焚き上げは、お正月の風物詩になっており、見た事がある方もいらっしゃるかもしれません。この他にも、お焚き上げはさまざまな目的で行われていますが、どのような意味があり、どのような時に行われるのかなど、詳しくは知らないという方も多いと存じる。お焚き上げを行うことで、大切な品物や品物に宿った魂を、故人等の元へ届けることができるとされている。そのため、納棺の際に入れ忘れた物があったり、遺品整理で故人が大切にしていた物や思い出の品が出てきたりした際に、お焚き上げを行うことがある。その写経は、私が精一杯に【ふく】の涅槃での幸せを祈ったものである。
【ふく】、涅槃で安らかに過ごし、幸せな時を願う。私が、長楽寺の方に本当に【ふくちゃん】は、稀に天寿を全うしたはずです。「私も長い事、多くの方にお聞きいたしましたが柿本さんの胸の中で天寿を終えたのは、本当に稀です。最後に、本当に安心したはずですよ。」それが、【ふく】の天寿の全うなら、私は間違いなく【ふく】が大好きだった母親であり、私は、これ以上ないぐらいに【ふく】を慈しめたなら悲しい事であるが、【ふく】にいくら感謝の気持を伝えきれないであろう。四十九日法要で、精入れが終えた時、今生の記憶をなくし涅槃に薬師如来と共に、四十九日法要が終えた時は薬師如来左手には薬壺を持ち、右手には印を組んでおられます。薬壺からは、そのものに応じた薬を取り出し与えて下さる、
右手の印は、“施無畏の印”といい手の平を外に向け親指だけ折り曲げているとされる。これは、“あなたの不安な心や、恐怖心を取り除いてあげますよ”という印で背である。故人等は、これまで仏様の導きにより、懺悔し、知恵を授かり、苦しみを取って頂いた。薬師如来さまには、後生が定まる前に最後の確認をくださる。もし、ここで、まだ【ふく】に苦しみが残っている場合、それを取り除いてくださるはずである。ふーちゃん、私は本当にふーちゃんと出逢う事は、天の定めだったのであろう。本当にふーちゃんには多くの大事なものを頂いた。
そして、誰にも心のすべ全てをふーちゃんが開いて、それを受け止めてくれた。そして、ふーちゃんは血の繋がりは無いが、最後まで、本当に私のこの世で、一番の宝物であった。四十九日法要は、偉大な師の形見の袈裟(けさ)とは仏教の僧侶等が身につける布状の衣装のことである。梵語で「壊色・混濁色」を意味する、法衣とも呼ばれる。そして、菩提樹の数珠で、偉大な師の教えと、私なりに悟りで精一杯に供養精進する。本当に四十九日法要は大事な法要である。ご葬儀後に、故人が仏様に七回逢われ修行を行っておられる49日間は、大変重要なものと考えている遺族の方の都合もありますが、7日毎の法事・法要での供養を行って頂くようお願いしております。供養をするということは、善行を積むこととされており、それは功徳を積むと同じ意である。功徳は、故人の魂を磨き、遺族の方たちの魂も磨きます。ただ、世間体があり供養をするや、自分自身に返ってくるからというような気持ではなく、損得を超えたところで、心から故人への感謝の念を持ち、冥福を祈り喪に服すのが大事である。
私は、四十九日まで、私の守り本尊の普賢菩薩様も含め、一心に修行に励んだ。その思いが、仏様に届いた事を祈願する。ただ、私は【ふく】にストレスを与えたものは命に賭けても許さない。必ず、命に賭けてもケジメを付ける。
私は、普賢菩薩様の気持を特に大事にしている。だから、【ふく】をあそこまで慈しむ事が出来たのだと存じる。
そして、私が【ふく】の親となり、【ふく】が愛息は天が定めていたのであろう。でも、本当に素晴らしい13年であり、本当に、私の人生で、一番、大事な至高の幸福であった。四十九日法要を終えた後の私は、どの様に生を終えるのは、全く分からないし、今は考える事は出来ない。私が、愛息の【ふく】に出逢わなければ、画家などの道に進む事はなかったであろう。私の絵は優しいというのは、【ふく】を慈しむ心が大きな影響を与えているのは間違いない。
【ふく】には、名港鈴木歯科医院の医療過誤で、人生がもう終えていたかもしれないが、最後に素晴らしい光を与えてくれた。慈しむ大事さを本当に私を光ある場所に戻してくれた。【ふく】も赤ちゃんのまま大人になり、最後まで、母親となって甘えた。人と犬という関係であったが、親子であったのは間違いない。そのため、【ふく】は涅槃に行ける子であるが、四十九日の間、厳しい供養精進修行にひたすら励み続けた。大事な愛息【ふく】のためなら、どれだけでも修行に身身体がぼろ雑巾以上になり壊れても続ける事が出来る。それが私の【ふく】を母親として慈しんだ証である。元来、私は真面目で、優しく正義感の塊だったが、それは私の守り本尊の普賢菩薩様のようだと偉大な師も感じていたはずである。女性層からの支持が多かった要因は、普賢菩薩の容姿にもあったのかもしれません。要因は、普賢菩薩の容姿にもあったのかもしれません。さらに相対するものへ清く優しい慈悲の心を持ち、辛抱強くなるようにと願っておられ 普賢菩薩様は、施し・戒律・忍耐・精進・精神集中・智慧を獲得するための修行をされて悟られた仏様です。 四七日法要では、普賢菩薩様が修行で得たすべてのことを授けて下さると言われている事を【ふく】に慈しみと愛を送る。私が女性に間違えられるのは、普賢菩薩が守り本尊で女性特有の優しさ、気遣いや容姿からかもしれません。そして私は偉大な師をはじめ慈悲深いし「お人好し」とも言われます。だから、【ふく】は私を母親と思い赤子からずっと甘えていたのかと存じる。「甘えさせ過ぎ」と良く言われたのも事実である。
そして四十九日法要が【ふく】と私の本当の別れでもあろう。愛息【ふく】の四十九日法要が、【ふく】に素晴らしい思い出となれば、母親として、これ以上の安心感はないであろう。
「ふーちゃん、本当に多くのしあわせを有難う!愛息ふーちゃん涅槃で安らかに・・・」
間もなく向かえる四十九日、今生の本当の別れとなるが、最後まで母親として見送りをする。
「ふーちゃん本当に素晴らしい13年間を有難う。母親の私は絶対に忘れない。」

柿本英雄【道号法眼】